とよだ・えいじ
大正2(1913)年、愛知・金城村(現在の名古屋市西区堀端町)に豊田平吉の二男として生まれる。トヨタグループの基礎を築いた創始者、豊田佐吉は伯父にあたる。第八高等学校から東京帝大工学部へ進み機械工学を学ぶ。卒業後は豊田自動織機に入社、自動車部へ配属される。昭和20(1945)年、終戦の混乱期に取締役就任。昭和30(1955)年に発売された初代クラウンの開発には技術者として携わったほか、副社長時代の昭和41(1966)年には初代カローラをリリースした。昭和42(1967)年、三井銀行出身の中川不器男社長の急逝に伴い社長に就任。トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売による「工・販」統合直前の昭和57(1982)年6月まで、14年9カ月にわたってトップとして陣頭指揮を執った。徹底したコスト管理による「トヨタ式生産方式」を確立し、〝トヨタ中興の祖〟と呼ばれる。平成6(1994)年、米国自動車殿堂入り。平成25(2013)年9月17日、100歳で死去。