もろはし・しんろく
大正11(1922)年、漢文研究の第一人者で『大漢和辞典』(大修館書店刊)の編者でもある諸橋轍次(都留文科大学初代学長・文学博士)の三男として東京に生まれる。東京高等師範学校附属中学校(現在の筑波大学附属高校)から上智大学経済学部へ進み、昭和22(1947)年、三菱商事入社。財界屈指のサッカーファンとして知られ、入社直後に開催された関東実業団サッカー選手権大会には選手として出場し、優勝している。オイルショック後の海運・造船不況時に船舶部長を務めたほか、ロンドン支店長時代には「三菱ダイヤモンド・サッカー」(テレビ東京)の番組開始に協力し、BBC(英国放送協会)が制作したサッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デイ」など、欧州各国で行われたプロサッカーの試合フィルムの買い付けに奔走した。昭和61(1986)年11月、就任からわずか5カ月で急逝した近藤健男前社長の後任社長として緊急登板。この前年の「プラザ合意」によって急激な円高不況に見舞われるなか、売上至上主義から収益重視の経営へと大転換を図り、会長に退く平成4(1992)年まで、事業の選択と集中を進めて三菱商事の〝再建〟を断行した。「商社マンは好奇心と行動力」が持論で、左の言葉に続けて「商社はメーカーと違っていろんな商売をやっている。穀物相場もあれば、宇宙通信などの最先端分野への先行投資もある。好奇心と行動力がなければ話にならない」と語っている。平成13(2001)年には大英帝国勲章(CBE)を受章。平成14(2002)年の日韓共催サッカーワールドカップでは開催準備委員会副会長を務めた。平成25(2013)年6月23日、90歳で死去。