いしばし・のぶお
大正10(1921)年生まれ。奈良県吉野郡川上村出身。昭和14(1939)年、地元の県立吉野林業学校を卒業すると旧・満州(中国東北部)の営林庁敦化営林署に勤務し、昭和17(1942)年には前橋陸軍予備士官学校を卒業。満州営林庁に赴任していた大戦中に再起不能といわれるほどの大ケガを負うが、克服してシベリア抑留生活を耐え抜いた。昭和23(1948)年に復員すると、翌年には家業の吉野中央木材の取締役に就任。戦後復興が始まったばかりの材木不足の時代に、鉄パイプで家を建てるアイデアを思いついたのは昭和25(1950)年、29歳の頃だったという。昭和30(1955)年、次兄の義一郎らと大和ハウス工業を設立し常務に就任。「建築の工業化」の理念のもと、わずか3時間での施工・組立が可能な「パイプハウス」「ミゼットハウス」を次々と開発。住宅難の時代にマッチした低コストのプレハブ住宅を大ヒット商品に育て上げた。昭和38(1963)年、社長に就任。リゾート開発やホテル運営などの観光事業のほか、海外での住宅・工場建設事業などにも積極的に進出し、事業を急拡大させた。平成15(2003)年、「社葬無用」と遺言し81歳で死去。