たていし・かずま

明治33(1900)年生まれ。熊本市出身。大正10(1921) 年、熊本高等工業学校電気科(現在の熊本大学工学部)を卒業後、兵庫県に技師として奉職するが、翌年には退職して井上電機製作所へ入社。アメリカで開発された「誘導形保護継電器」の国産化に取り組んだ。昭和5(1930)年、京都で「彩光社」を創業し独立。昭和8(1933)年には大阪でオムロンの前身となる立石電機製作所を創立した。戦後はマイクロスイッチリレー、温度スイッチ、圧力スイッチなどを開発するとともに、オートメーション時代の到来を予期し、資本金(当時)の4倍に相当する資金を投じて中央研究所を設立。世界初の無接点近接スイッチの開発に成功するなど産業用オートメーションの発展に大きく貢献した。また、硬貨の判別と計算機能を搭載した自動販売機や両替機を開発し、これらの新技術によって業績を飛躍的に伸ばすと健康医療機器分野にも進出。家庭用電子血圧計で世界トップシェアを誇る事業に成長させた。また、自動改札機、ATM(現金自動預払機)などの新たな技術ジャンルにも乗り出し、主要事業へと発展させていく基礎を築いた。平成2(1990)年、社名から「立石」を外してオムロンに変更すると、その翌年、90歳で死去。