たなべ・もいち(本名の読みは「しげいち」)
明治38(1905)年、東京・新宿で紀州備長炭を商う「紀伊國屋」の跡取りとして生まれる。高千穂小学校を経て慶応義塾高等部に学び、昭和2(1927)年、22歳で紀伊國屋書店を創業。家業の炭商を継がずに書店経営を志したのは、10歳の頃、父親に連れられて入った丸善で洋書に魅せられたためだといわれている。昭和21(1946)年に法人化し社長就任。この頃から徐々に経営には関与しなくなり、昭和39(1964)年には新宿本店ビル内に演劇ホール「紀伊國屋ホール」を開設するなど、文化事業に力を注いだ。上の言葉は昭和55(1980)年頃、ラジオ番組に出演した際のもの。インタビュアーが「炭屋の片隅ではじめた本屋が日本一の本屋になるような、そんな時代というのは、もう来ないんでしょうね」と述べたことに対してこう応じた。昭和56(1981)年10月、シュバリエ・デ・ザール・エ・レットル(フランス文芸勲章騎士章)受章。その2カ月後、76歳で死去。