もり・かずお
大正5(1916)年生まれ。静岡県田子村(現在の西伊豆町)出身。水産講習所(現在の東京海洋大学の前身)を卒業後、水産会社に就職するが間もなく徴兵され、旅順の陸軍予備士官学校を経て昭和14(1939)年のノモンハン事件に従軍。所属部隊はほぼ壊滅に近い状態の被害を受けたが、かろうじて生き残り帰国。上の言葉はその体験を語ったもの。昭和19(1944)年に結婚するが、その1カ月後には再徴兵され、終戦後も中国で半年間の捕虜生活を送る。昭和21(1946)年に帰国して水産会社の子会社へ復職。取締役にまで昇進するが勤務先は経営破綻してしまう。昭和25(1950)年、水産講習所時代の同級生と共同で、売りに出ていた冷蔵庫を買い取って「横須賀冷蔵庫」を設立。昭和28(1953)年にはその会社の東京支店も買い取り、東洋水産の前身となる「横須賀水産」を設立した。それ以降、冷凍マグロや魚肉ハム・ソーセージなどの水産事業に専念するが、昭和49(1974)年に添加物の安全性を疑問視する声が高まると、危機感を持って即席カップ麺の開発に着手。その翌年には「マルちゃんのカップうどんきつね」(現在の「マルちゃん赤いきつね」)が大ヒットし、「マルちゃん」のブランドを確立する。高杉良の経済小説『燃ゆるとき』は森をモデルにしたもので、その波瀾万丈の人生が題材となっている。叙勲・褒章などはすべて辞退し、財界活動も行わなかった。東洋水産の経営を退く際には「退職金が高過ぎる」として7分の1に減額させたという。平成23(2011)年、95歳で死去。