おぐら・まさお
大正13(1924)年、東京生まれ。東京大学経済学部を卒業後、昭和23(1948)年に父親(小倉康臣)が経営する大和運輸(現在のヤマト運輸)へ入社。肺結核を患い4年間の入院生活を余儀なくされるが、大和運輸がGHQ関連の輸送業務を担当していたため、日本国内ではほとんど入手困難だったストレプトマイシンを米軍ルートで入手できたこともあり、当時としては奇跡的に回復。退院後、静岡で子会社の再建を手がけたのち本社へ復帰し、昭和36(1961)年には取締役に就任。同46(1971)年には父親の跡を継いで2代目の社長となり、オイルショック後に低迷していた業績を回復させるため「クロネコヤマトの宅急便」の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを開始した。宅配便の規制緩和をめぐって旧運輸省や旧郵政省と対立した際には、官僚を相手に互角以上の論戦を展開。理不尽な要求に毅然として立ち向かう姿勢は一貫しており、創業以来の得意先である三越が運送費の大幅な引き下げや映画チケットの大量購入などを要求してくることに耐えかね、取引停止を通告したこともある。この一件は両社のシンボルマークにたとえられ、「ネコがライオンにかみついた」として話題となった。上の言葉は、集荷や配送が非効率な個人宅配の事業に乗り出した当時を振り返ってのもの。平成17(2005)年、80歳で死去。