はっとり・きんたろう
万延元(1860)年、江戸・京橋采女町(現在の東京・中央区)で古物商「尾張屋」の一人息子として生まれる。11歳で洋品雑貨問屋「辻屋」へ丁稚奉公にあがるが、いずれは自分で商売を始めたいと考える。「時計は売ったあとも修理で利益を得ることができる」と考え、14歳のとき日本橋の亀田時計店で修繕の技術を学ぶ。その2年後には上野の坂田時計店へ移り、そこでも時計修理の修行を積んだ。明治10(1877)年には京橋の生家へ戻り、「服部時計修繕所」を開業。他店で時計職人として働き続けながら、自宅でも修理の仕事を請け負い、時計店開店のための資金を準備した。明治14(1881)年、21歳で自宅近くに「服部時計店」を開店し、質店や古道具屋から安く買い取った中古の時計を修繕して販売。明治16(1883)年には銀座の裏通りへ店を移転し、横浜の外国商館との取引も開始した。輸入時計の販売は順調に売上を伸ばし、明治20(1887)年には銀座4丁目の表通りへ店を構えるまでに成長した。明治25(1892)年、製造部門として「精工舎」を設立。自社工場で柱時計や懐中時計の生産に成功し、製造から販売・修理までを一貫して手がける時計メーカーとなった。明治27(1894)年には銀座4丁目の角地を買収し、巨大な時計塔が印象的な本店ビルを完成させた。大正2(1913)年、国産初の腕時計を製造・販売し、関東大震災から2年後の大正14(1925)年にはその量産化にも成功した。この言葉は「すべて商人は、世間より一歩先に進む必要がある。ただし、ただ一歩だけでよい。何歩も先に進みすぎると、世間とあまり離れて予言者に近くなってしまう。商人が予言者になってしまってはいけない」という服部の経営理念を端的に表したもの。「日本の時計王」は昭和9(1934)年、73歳で死去。