くどう・しょうしろう
明治27(1894)年、徳島市に生まれる。大正10(1921)年、東京帝国大学法学部を卒業後、日本興業銀行に入行し参事、調査部長、融資第四部長と昇進した。昭和20(1945)年の終戦時には大阪支店長の要職にあったが、その年のうちに大蔵省へ転じ、物価部長に就任。預金封鎖、財産税徴収、国家補償の全面打ち切り、米の強制供出、隠退蔵物資の強制買い上げ、失業対策など、相次いで打ち出された一連の非常措置やインフレ対策に取り組み、実務家として辣腕を振るった。物価庁次長兼経済安定本部第五部長を最後に退官。昭和22(1947)年に創設された復興金融公庫へ副理事長として転じ、昭和25(1950)年には同公庫の理事長に就任した。昭和26(1951)年、東京都と東京商工会議所の支援により東京都民銀行が設立されると初代頭取に就任。以後、昭和51(1976)年まで25年間にわたり地銀上位行のトップとして東京の地場産業・中小企業育成に力を注ぎ、個人事業主やベンチャー起業家、女性経営者などへ積極的に融資した。この言葉は頭取時代のもので、これに続いて「実力を備えておけば自分自身資力がなくとも、仕事をやる場合は自然に資金が集まってくるからである」と若手経営者に説いた。経済団体・政府機関でも公職を歴任し、昭和52(1977)年、83歳で死去。