いわなみ・しげお
明治14(1881)年、長野県中洲村(現在の諏訪市)の農家に生まれる。上京して学んだ第一高等学校では試験放棄を理由に除名退学処分となるが、明治38(1905)年には東京帝国大学哲学科に入学。卒業後は神田高等女学校(現在の神田女学園)の教師となるが間もなく退職する。大正2(1913)年、神田区南神保町(現在の東京・千代田区神田神保町)で古本屋「岩波書店」を開業。当時の古本業としては異例の正札販売で基盤を固め、翌年の大正3(1914)年には文豪・夏目漱石の『こゝろ』を刊行して出版事業にも乗り出した。同書は漱石による自費出版だったが、岩波書店ではこれを同社の処女出版と位置付けている。大正10(1921)年には雑誌『思想』を創刊するなど順調に業績を伸ばしていったが、大正12(1923)年の関東大震災で書店2店舗と倉庫3棟、有楽町にあった印刷工場など、商売上の全財産が焼失してしまう。上記の言葉は震災直後のもの。かろうじて全焼を免れた原稿をもとに『哲学辞典』の改訂版や『カント著作集』を発行し危機的な状況からの脱出に成功する。昭和2(1927)年には「岩波文庫」を創刊。『科学』『文化』などの雑誌も発行を開始した。古今東西の古典的な名著から、哲学、社会科学、自然科学、文芸、芸術まで、森羅万象あらゆるジャンルを網羅する岩波文庫の登場は多くの読書人を驚かせ、学生でも買える価格設定とポケットに入る手軽さから爆発的な勢いで読者を獲得していった。終戦間近の昭和20(1945)年3月、貴族院多額納税者議員に互選、任命される。翌年の昭和21(1946)年には雑誌『世界』が創刊され、文化勲章を受章するが、その2カ月後、64歳で死去。