こばやし・ようたろう
昭和8(1933)年、英国・ロンドンに生まれる。父は富士フイルム第3代社長の小林節太郎。慶應義塾幼稚舎からの慶応ボーイで経済学部を卒業。昭和33(1958)年にペンシルベニア大学ウォートン・スクールを修了(MBA取得)し富士フイルムへ入社。昭和38(1963)年、富士ゼロックスへ転じ昭和43(1968)年には取締役に就任する。昭和53(1978)年には44歳の若さで社長に就任。テレビCMでは「モーレツからビューティフルへ」のキャッチコピーが話題となり、行き過ぎた経済至上主義には迎合しない富士ゼロックスの企業姿勢が多くの共感を得た。平成21(2009)年、相談役最高顧問を最後に経営から退くまで同社を牽引。社長に就任した当時の売上高は1000億円程度だったが、現在では1兆円を突破する規模にまで拡大しており、その素地をつくりあげた功績から小林は「ミスター・富士ゼロックス」と呼ばれている。「なにより、最終的な責任は、最高経営責任者にあるという気概を見せる」ことを信条とし、経済同友会の代表幹事に就任後も「企業のあるべき姿は利益を上げるだけではなく、企業の活動そのものが社会に貢献するようになることだ」と述べ、市場主義の導入には否定的な意見を貫いた。人材の育成にも熱心に取り組み「視野を拡げ、思索を重ね、確たる価値観を持って対話できるリーダーを育てたい。そのために古典から学ぶ。常に『何のために』という原点に立ち返り、自ら判断して行動することを求めたい」と語っていた。「良い会社の条件」を問われると「強くて、やさしくて、おもしろい」と答えた〝ミスター富士ゼロックス〟は、平成27(2015)年9月5日、82歳でその生涯を閉じた。