ほりば・まさお
大正13(1924)年、京都市生まれ。旧制甲南高等学校(現在の甲南大学)を経て京都帝国大学理学部へ進み物理学を専攻。在学中の昭和20(1945)年には京都市内で「堀場無線研究所」を創業し、学生ベンチャー起業家の草分け的存在となる。昭和21(1946)年に京大を卒業すると研究開発に専念。昭和25(1950)年には国産初のガラス電極式pHメーター(酸性度または塩基性度を測定する電子機器)を完成させる。昭和28(1953)、堀場製作所を設立。分析・計測機器の総合メーカーとして多彩な製品を世界各国へ送り出し、昭和46(1971)年には大証2部・京証へ上場する。昭和53(1978)年、53歳で社長を退き会長に就任。周囲には「社長は40代で就任して50歳になったら引退。役員も60歳で定年するのが理想。そうしたら会社、ひいては日本は本当に元気になる」と公言していたため、「3年遅れた」と振り返り、「ワンマン社長の首を斬るのは自らしかない」と述べている。昭和57(1982)年に東証・大証1部上場を果たした同社は、エンジン排ガス測定・分析装置の分野で世界シェア80%を誇るトップカンパニーへと成長を遂げた。人材育成・起業支援にも積極的に取り組み「『理論的に正しく、企業哲学に合致し、商売になる』。この三条件を満たしているなら、たとえ上司が反対しても突き進むべきだ」「イヤならやめろ。ただ本当にイヤだと思うほどやってみたか」などと語っている。上の言葉は幹部候補の社員を叱責した際のもの。「お前を5分叱ることで、お前はわしを2時間も3時間も専有したんやど。わかっとるやろうな。わしがもう何も言わんようになったら終わりや。わしが叱ってるのは、お前に期待してるからや」と語った。堀場はその前日から、どのように話せば部下に理解・納得させることができるかを何時間も考えてから叱ったという。平成27(2015)年7月、90歳で死去。