えざき・りいち

明治15(1882)年、佐賀県蓮池村(現在の佐賀市蓮池町)生まれ。小学校高等科卒業後、15歳で家業の薬種業を手伝うようになる。海外から大樽に入ったワインを仕入れ、それをビンに詰め替えて安く売る商法で、九州でも屈指のワイン販売業者となる。やがて、カキに多く含まれる栄養素「グリコーゲン」での事業化を思いつき、干し牡蠣の製造工程で大量に捨てられていた煮汁に目をつける。大正11(1922)年には栄養菓子事業の江崎商店(江崎グリコの前身)を創業。江崎が売り出した「グリコ」のキャラメルは、栄養価の高さをアピールした「一粒300メートル」のキャッチフレーズと、玩具のオマケ付きという斬新なアイデアで大成功を収めた。先行する森永製菓のキャラメルが黄色い箱だったため、追随する他社の製品もほとんどが黄色を基調としたパッケージだったが、後発のグリコは赤箱にして売り場で目立たせた。昭和55(1980)年、97歳で死去。