おおかわ・いさお
大正15(1926)年、大阪・船場で服地問屋の次男として生まれる。早稲田大学専門部工科を卒業後、肺疾患のために8年の闘病生活を送るが、新薬が開発されたことで奇跡的に治癒する。回復後は繊維問屋勤務などを経て、タクシー業界に進出し成功を収める。昭和43(1968)年、42歳のときに、大阪・淀屋橋で「コンピューターサービス株式会社」(CSK)を設立。それから14年後の昭和57(1982)年には、国内のシステムインテグレーターとして初めて東証2部に上場した。IT産業の先駆的経営者として、ゲームなどエンタテインメント事業の重要性に着目。昭和59(1984)年にはセガ・エンタープライゼス(現在のセガ)の会長に就任した。その後もIT関連企業に対して積極的な支援を続け、経営不振のアスキーなどに出資して傘下に収めた。会長を兼務していた株式公開・上場企業は、アスキー、ベルシステム24、ネクストコムなど約30社にも上る。平成13(2001)年、セガがドリームキャスト事業からの撤退で800億円の特別損失を計上した際には、850億円の私財を投入した。強烈な個性の持ち主で、新入社員全員に配布していたCDの前半には、社歌はもちろんのこと「CSKズッコケ音頭」や、都はるみが唄う第2社歌「今がその瞬間(とき)」などの企業ソングが収録されており、後半には大川自身が熱唱する「東京ラプソディ」「昔の名前で出ています」「うちの女房にゃ髭がある」などが収録されていた。また社員手帳には「人生は感動の歴史で綴れ」「第2の胃である脳を満足させる」「利益とは絞りきった最後の一滴」などといった〝大川語録〟が収載されていて、そのなかで自身の人生について「新しい産業には必ずその予兆がある。その予兆を逃さず捕らえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は、時流という恩恵を与え、そして使命という社会的責任を負わせるのだと思う。私の人生は、それに尽きる」と書いている。平成13(2001)年、74歳で死去。