つかもと・こういち

大正9(1920)年、宮城県仙台市で繊維問屋の長男として生まれる。昭和13(1938)年に滋賀県立八幡商業学校を卒業し、兵役まで家業を手伝う。戦時中は南方戦線を転戦し、インパール作戦などにも従軍したが九死に一生を得て生還。昭和21(1946)年に復員すると京都で婦人洋装・装身具卸業の和江商事(ワコールの前身)を創業する。婦人用アクセサリーの販売で事業を軌道に乗せると、昭和24(1949)年には京都百貨見本市にブラジャーを出品。この年、和江商事を資本金100万円の株式会社へ改組し社長に就任する。昭和25(1950)年からは髙島屋京都店との取引を開始し業容を拡大。昭和26(1951)年には大阪出張所と縫製工場を開設し、女性用下着の自社製造に着手する。昭和32(1957)年、商号を現社名のワコールに改称。下着ファッション化の波に乗り急成長を遂げ、翌年までに国内縫製子会社を7社設立した。新商品の開発にも意欲的に取り組み、「タミーガードル」「シームレスカップブラ」「フロントホックブラ」「シェイプパンツ」「グッドアップブラ」などをヒットさせた。京都商工会議所会頭や日本商工会議所副会頭など、財界の要職も歴任。昭和62(1987)年には会長に退き、平成10(1998)年、77歳で死去。