まえだ・かつのすけ

昭和6(1931)年、福岡県穂波村(現在の飯塚市)生まれ。父が住友鉱山忠隈炭鉱病院の薬局長だったため庭付きの社宅で育つ。一家が父の郷里である熊本へ移ることになると、嘉穂中学校から熊本中学校へ転入し、第五高等学校を経て熊本大学工学部工業化学科に学ぶ。卒業後は京都大学大学院工学研究科修士課程へ進み、昭和31(1956)年に修了すると東洋レーヨン(現在の東レ)に入社。しかし研究職には就かず、自ら工場勤務を希望。愛知、三島、愛媛などの生産現場へ配属され、昭和51(1976)年には愛媛工場技術部長となる。以後、製造部長、工場長を歴任し、炭素繊維「トレカ」の生産性向上に取り組んだ。昭和60(1985)年、取締役に就任するが、同年9月のプラザ合意により急激な円高が進行。担当役員に就任した直後から赤字を余儀なくされた繊維事業部門だったが、海外工場のコスト・品質を改善するとともに、東南アジアの繊維企業を買収して欧米向け輸出を強化し、わずか2年で黒字化に成功。昭和62(1987)年には末席常務から14人抜きで社長に就任し、「東レ中興の祖」と呼ばれる。平成9(1997)年、代表権のある会長に就任。ユニクロとの提携を進め、「フリース」「ヒートテック」「ダウンジャケット」のヒット商品を生んだ。アジア通貨危機、米国同時多発テロ、ITバブル崩壊などによって東レが赤字へ転落すると、平成14(2002)年には最高経営責任者(CEO)に復帰。業績をV字回復させ、平成16(2004)年には名誉会長に退いた。平成25(2013)年、82歳で死去。