くめ・ゆたか

大正10(1921)年生まれ。東京都出身。府立第六中学校(都立新宿高校の前身)から東京帝国大学第二工学部航空原動機学科へ進み、昭和19(1944)年に卒業すると海軍で軍用機の製造・修理に関わる。昭和21(1946)年、日産自動車に入社。座間工場工務部長や吉原工場長などを歴任し、昭和48(1973)年には代表権のある取締役に就任。その後も主に生産畑を歩み、昭和52(1977)年代表取締役常務、57年同専務、58年同副社長に昇進。昭和60(1985)年には社長に就任しトヨタ自動車との差別化に着手。走行性能を重視したクルマづくりを目指して「901活動」を推進し、高級セダン「シーマ」や3代目「シルビア」などの新型車を相次いで発売した。昭和63(1988)年にリリースされたシーマは最初の1年間だけで3万6400台を販売する大ヒットカーとなり、その人気ぶりは「シーマ現象」と呼ばれ同年の新語・流行語大賞の銅賞を受賞した。また、欧州・北米に統括販売会社を設立するなど経営のグローバル化を推進。その一方、日米自動車摩擦が激化する中で平成2(1990)年には日本自動車工業会会長に就任し、対米輸出の自主規制基準をまとめあげた。平成4(1992)年には日産会長、旧経団連副会長に就任。平成26(2014)年、93歳で死去。