偽装 未払金請求急増の兆し

働き方改革関連法スタートで


 不当な長時間労働の常態化やサービス残業の横行、また非正規労働者への待遇差別などを見直すことを目的に制定された働き方改革関連法が4月1日から施行された。不当に扱われている労働者の権利を改善するためとはいえ、資本力のない中小企業にはかなり厳しい内容も盛り込まれている。なかでも、労働時間の把握義務が法制化されたことで、未払い残業代に関しては企業側の立証責任がこれまで以上に重くなる。かつて消費者金融訴訟で〝過払金請求バブル〞を謳歌したあの士業が静かに施行を待っていたという。


 時間外労働などで割増賃金を支払っていないケースに対して2017年度に厚生労働省が是正勧告した企業数は全国で1870社に上り、前年より521社の増加となった。

 

 じつに40%増という伸び率だが、さらに注目すべきは対象労働者数と支払額で、是正命令によって割増賃金が支払われた労働者は前年度の10万7257人から倍増して20万5235人、支払われた金額は前年度の127億円の3・5倍にあたる446億4195万円という急激な伸びとなり、案件数、人数、金額とも過去10年で最高となった。

 

 統計は1企業あたり合計100万円以上となった事案をとりまとめたものであるため、それ以下の金額も加えれば対象となった案件は相当数に及ぶものとみられる。

 

こうした数字の背景には、安倍政権の目玉政策のひとつである「働き方改革」の推進と、労働者の権利意識の高まりがある。それぞれお題目としては正論だが、資金に余裕のない中小企業からすれば急に賃金等の是正もできず、頭を抱えてしまう状況だ。

 

過払金請求バブルの次は〝未払金請求バブル〟?

 そして、現行の労働法規に抵触する膨大な数の企業と、高まる労働者の権利意識により活況を呈している士業者がある。それが、10年ほど前に消費者金融などから過払金を還付させる〝過払金請求バブル〞を謳歌した弁護士だ。

 

 出資法の改正で利息を取り過ぎていた業者に対して、債務者の代理人として請求し、手数料を得て潤った。ほとんどが所員にできる業務内容であるにもかかわらず還付金の2割が懐に入るという極めてオイシイ仕事とされていた。

 

 ただ、返還時効が10年であることから次第に需要も底をつき、ここ数年はブームも下火になっている。そこで弁護士が次に目を付けたのが、残業代や時間外手当の未払いに対する請求業務だ。

 

 残業代や時間外労働に対する未払金は、借金の過払金に負けず劣らず結構な金額になる。そのため手数料収入のうま味は大きく、相談料、内容証明作成料、示談交渉料などに加えて成功報酬を得ることができる。仮に未払金が300万円なら50万円程度の手数料が相場とも言われている。

 

 労働問題に詳しい東京・中央区の社会保険労務士によると、職業安定所で職を探している人に声を掛けては退職した元職場への返還請求を持ち掛ける弁護士もいるという。実際に顧問先の企業には「弁護士から内容証明を送り付けられた会社がいくつもある」という。司法制度改革で弁護士の数が増えすぎたことに加え、過払金請求がひと段落したことから、新たなビジネスを探し出したようだ。

 

 そして多くの弁護士が手ぐすね引いて待っていたのが、昨年成立した「働き方改革関連法」だ。同法は労働基準法や労働安全衛生法など8つの法律の改正法で、テレビの報道などでは、有給休暇消化の義務化や時間外労働時間の規制、また三六協定の締結徹底などを推進する中身がクローズアップされている。だが、前述の弁護士などの動きも視野に中小企業の経営者が最も気を付けるべきは「労働時間の把握義務」だ。

 

 退職した労働者による未払金の請求で、その金額の根拠とされてきたのは、タイムカードやパソコンの使用記録が主なものだが、労働者個人が自分の手帳に書き込んだ手書きのメモなども「証拠」として裁判では認められてきた。さらに、明らかに偽造したタイムカードのコピーであっても、その偽造を会社側が明確に否定する証拠を出せなかったことで数百万円の支払いを命じる判決も出てきたという現実がある。しかも、これらの根拠となる「労働時間の把握義務」は、労働安全衛生法の施行規則に書かれたものに過ぎなかった。

 

 今後、「規則」から「法律」へと格上げされれば、労働者側の言い分はさらに通りやすくなる可能性が高い。それどころか、仮に偽装した証拠であっても、会社側がそれを証明できなければほぼ勝ち目はない。請求されるがままに未払金に時間外手当を付けて、さらに慰謝料まで上乗せして支払うようなことにもなり得る。

 

タイムカード打刻だけでは不十分

 そして一人が請求に〝成功〞すれば、すぐに「後に続く者」が出てくるのは必然だ。法改正を悪用した、まさに〝ブラック労働者〞といえるような相手と戦うためには、労働者保護の風潮が強い昨今では、企業が鉄壁の守りを固めるしかない。

 

 今回の法改正にあたっては、まずは誰が見ても信頼できるレベルの客観的な労働時間の把握が必要だ。タイムカードへの打刻だけでなく、打刻した後に上司の前でサインをさせたり、時刻を労働者自身の手書きにしたりするのも有効な手段だとされており、厚労省のマニュアルでも推奨しているところだ。このほか、パソコンの使用ログを一括管理するとともにオープンにして透明化するなど、偽造しにくい環境を整えることも効果的だ。

 

 社労士の本間邦弘氏は、「これまでのタイムカードの打刻だけでは、白紙の委任状を渡しているようなレベル。社員を疑うようで心苦しいかもしれないが会社を防衛するためにはやむを得ない」と、従業員への気遣い以上にリスクを意識するべきだとくぎを刺す。

(2019/05/07更新)