盛美園/盛美館

青森・平川市



 建治3(1275)年に没したとされる鎌倉時代の幕府御家人、清藤次郎盛秀を家祖とする清藤氏は、初代以来、この地の豪農・大地主として代々続く津軽でも有数の資産家一族。地主農家であるとともに商家としても栄え、歴代当主は地元経済界に大きな影響力を持っていた。清藤家には商家として繁盛していた往時を偲ばせる「そろばん」が残っており、その箱書きには「天文十一年壬寅三月調之清藤」(天文11年=1542年)とある。これが現存する日本最古の算盤だといわれている。

 

 明治時代の清藤家24代当主、清藤盛美はこの地域の戸長や村長を歴任。その一方で青森商業銀行や尾上銀行の創立にも参画し、やがて尾上銀行頭取に就任した人物。「盛美園」は、この清藤盛美が明治35 (1902)年から9年の歳月を費やして整備したもの。大石武学流4代宗匠の小幡亭樹を招いて作庭にあたらせた築山式枯山水・池泉廻遊式の日本庭園で、武学流の真髄を示した最高峰の名園として造園当時から高く評価されてきた。現在では、京都の「無鄰庵」や「清風荘」と並ぶ庭園の傑作として、「明治時代三名園」のひとつに数えられている。

 

 「盛美館」は、この名園を眺めるためだけに建てられた和洋折衷様式の建物。1階と2階でまったく異なる意匠が特徴で、1階は数奇屋造りの純和風建築、2階はルネッサンス調の洋館建築となっている。判然と異なる和洋風の様式が上下階に重なる建築は、国内ではほかにあまり例を見ないものだといえる。漆喰の白壁、展望室のドーム屋根、尖塔、棟飾りなどが見事に融合し、外観的な調和を醸し出している。

 

 施主は清藤家25代当主の清藤辨吉。設計・施工は弘前の大工棟梁、西谷市助が手がけ、明治41(1908)年に竣工した。当時、擬洋風建築の名手として知られていた地元の大工棟梁、堀江佐吉のもとで腕を磨いたとされる西谷市助は、盛美館の建築にあたって東京まで視察に出かけるなど、完成までじつに4年を要したという。

 

 盛美館・盛美園の景観は、平成22(2010)年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画作品『借りぐらしのアリエッティ』の参考にされたといわれている。ジブリでは平成20(2008)年の社員旅行でここを訪れており、作中に登場する屋敷や庭園のモデルとしてイメージの一部に取り入れたという。実際に、案内所には宮崎駿監督のサインがある。

 

 盛美園の庭内には盛美館のほかに、重層入母屋造りの「御宝殿」が建てられている。こちらは清藤家の霊廟(位牌堂)として大正6(1917)年に造営されたもので、唐破風の廟建築様式が特徴的。鎌倉時代から続く旧家だけに、本尊として安置している「金剛界大日如来像」も同時代から伝わるものだとされている。十畳敷の堂内は金箔に覆われており、両側の壁面は人間国宝の河面冬山が生涯をかけて制作した大作「桜に孔雀」などの蒔絵で豪華絢爛に彩られている。河面冬山は広島県出身の漆工芸家。短時間で制作できる蒔絵の技法「冬山式蒔絵法」の創案者として知られる。御宝殿の蒔絵は大正初期に完成したもので、3部・5枚からなる作品群。そのうち、「桜に孔雀」の蒔絵は高さ6尺・幅7尺(約180㎝×210㎝)という日本最大のもので、漆芸作品の最高峰とされている。

 

 昭和28(1953)年には盛美園が国の名勝に指定される。平成3(1991)年、東北地方を襲った台風19号の影響で庭園と盛美館は大きな被害を受ける。その復旧・復元事業が10年をかけて実施され、世紀をまたいだ平成13(2001)年に完了。入念な修復作業の結果、盛美園は造園当時の姿に復され、盛美館も創建当時の模様に復元された。

 

 国の名勝に指定されてはいるが、園内には先祖供養の霊廟もあり、現在でもなお、鎌倉時代から代々続く清藤家が所有する庭園・建築物として、その子孫たちの手で連綿と守り、受け継がれている。

(写真提供:平川市)