【「安全」が胡散臭い】(2014年9月号)


ひとを傷つける凶器にもなる鋭利なカミソリやピンであっても、「安全カミソリ」「安全ピン」という商品名で安心したものだし、事実、従来のものより「安全」に使えるだけの改良が施されていた。メーカーの生産ラインや土木工事の作業現場、レストランの厨房などで働くひとの足もとは、今日でも当然のように「安全靴」で守られている▼最近、この「安全」という言葉がどこか胡散臭い。原発事故後は「安全」と聞くと、むしろ強い不安を感じるようになった。「安全レベル」の放射線量、原発の新たな「安全基準」、除染後の汚染土の「安全確認」……。調査・測定の結果として国や東電が「安全」を連呼するたびに、ますます「安全」への不安が募る▼首相が展開する「安全保障論」も、「安全」という言葉の信用価値を下落させている大きな要因ではないか。国家間の安全保障の真髄は、ひとことに要約してしまえば「どれだけ味方を増やして、敵を減らせるか」に尽きるはず。外交よりも軍事を優先する「積極的平和」によって、はたして「安全」が保たれるのか大いに疑問だ▼医療の現場では無床診療所にも安全管理体制・対策の構築が義務付けられている。衛生管理・院内感染防止策に基づく医薬品・機器の安全使用を徹底し、せめて患者には本当の「安全」を提供していきたい。