【口耳四寸】(2015年10月号)


「『爆笑』は大笑いすることだと思っていた。『須()らく(すべからく)』は全てと同じ意味だと思っていた」――。7年間、筆者とともに仕事をしてきた40代の男性社員がこう漏らす。では、言葉としての正しい意味を理解し直したのかと問うと、「いいえ。ただしこれらが誤用であることだけは間違いなく理解しています」とのこと。なんだか禅問答みたいだ▼「口耳四寸」という。口と耳とはたった4寸しか離れていないのだから、他人から聞いた言葉を深く考えもせず、そのまま受け売りしていては、いつまで経っても身に付かない。自分で理解していない言葉を、聞いた途端に口にするようでは内面を磨けないということだ▼「誤用」だったことに気が付いたというのだから、少なくとも「受け売り」からは脱却できたのだと信じたい。大勢のひとが一度にどっと笑うことを「爆笑」というのだから「ひとりで爆笑する」などと使うのは間違いだし、「須らく」は「ぜひともしなければならない」という意味なのだから、およそ新聞社に在籍した人間としては「須らく正しい言葉を身に付けるべし」だ▼孔子は竹の板に書かれた『易経』を何度も読み返したため革の綴じ紐が3度も切れた。「韋編三絶」という。先人の残した書物から多くを学び、最後は自分自身のアタマで思考して知識の「穴」に紐を通すことが肝要だ。