ちの・たすく
昭和9(1934)年生まれ。長野県諏訪市出身。諏訪農業高校(現在の長野県富士見高校)を卒業後、27歳まで農業に従事。農閑期には上京して海苔店の店員として働いた。昭和37(1962)年、兄弟3人(茅野は「横川4兄弟」の二男。親戚の養子となった茅野だけ名字が異なる)とともに東京・保谷町(現在の西東京市)で食料品スーパー「ことぶき食品」を創業。「団地の住人を相手にした商売は成功しない」というのが定説になっていた当時、「ひばりが丘団地」に立地する売場面積7坪の店舗で、月商400万円を売り上げた。しかし、大手スーパー各社による巨大店舗の進出で価格競争が激化。昭和45(1970)年には転業を決断し、東京・府中市の甲州街道(国道20号線)沿いに郊外型ファミリーレストランの先駆けとなる「スカイラーク1号店(すかいらーく国立店)」をオープンした。上の言葉は順調に業績を伸ばしていた食品スーパー事業から、ファミレス業態へ〝跳躍〟したときの心境を語ったもの。店名は創業地の「ひばりが丘団地」(ヒバリ=skylark)から命名された。セントラルキッチン(集中食材加工工場)方式を導入して品質管理を徹底、「すかいらーく」を中核として「ジョナサン」「バーミヤン」「藍屋」など多様な外食チェーンを全国展開した。平成5(1993)年にはグループで1000店舗出店を達成。創業から39年間、社長として陣頭指揮を執り、それまで飲食業と呼ばれていたレストラン業界を「外食産業」に発展させた。バブル崩壊後の長い低迷期には低価格路線の「ガスト」を出店し「すかいらーく」からの業態転換を加速。「すかいらーく」は平成21(2009)年10月末に最後の1店舗が閉店し、創業ブランドが消滅した。その約半年後の平成22(2010)年5月、75歳で死去。