おおこそ・よしのり
大正4(1915)年生まれ。香川県津田町(現・さぬき市)出身。旧制高松高等商業学校に学ぶが生家の没落により中退を余儀なくされ、叔父が経営する養豚組合へ就職する。昭和17(1942)年、徳島市で食肉加工場を創業。この工場は戦災によって焼失してしまうが、昭和26(1951)年には早くも「徳島ハム株式会社」を設立して再起を果たす。昭和38(1963)年には「鳥清ハム」と合併して社名を「日本ハム」と改称するとともに、拠点を大阪へ移した。昭和48(1973)年、ハム・ソーセージ大手の伊藤ハム、プリマハム、丸大食品などを抑えて業界トップの座を占めると、その年のオフにはプロ野球パ・リーグの「日拓ホームフライヤーズ」を買収。新しい球団名を公募して「日本ハムファイターズ」(現・北海道日本ハムファイターズ)とした。大の野球好きのオーナーとして知られ、ドラフト会議や新入団選手発表記者会見にはほぼ毎年顔を出していた。球場にも頻繁に通い、選手に対して「やろうと思えばなんでもできる」「できると思えば必ずできる」という言葉で激励していたという。昭和56(1981)年のリーグ優勝で胴上げされた際に着用していたユニフォームの背番号「100」が、球団オーナーのものとしては日本プロ野球史上初の永久欠番(2009年2月1日球団制定)となっている。平成17(2005)年、90歳で死去。翌年、ファイターズが44年ぶりに日本シリーズを制覇すると、その遺影を持った大社啓二氏(甥で養子)が選手たちに胴上げされ宙に舞った。平成21(2009)年1月13日、特別表彰で野球殿堂入り。