ばば・いさむ
明治43(1910)年生まれ。東京帝大から朝鮮銀行へ入行。終戦後、大蔵省外局復興金融金庫を経て、昭和23(1948)年に日本ツーリストを創業。零細ベンチャーでありながら国鉄に直談判して修学旅行専用の臨時団体列車を走らせるなど、斬新なアイデアで先行する大手旅行会社に対抗し「野武士集団」と呼ばれた。この活躍ぶりは城山三郎の小説『臨3311に乗れ』の実名モデルともなった。昭和30(1955)年には将来の個人旅行を中心とした旅行形態への変化を予測して近畿日本航空観光と合併。近畿日本ツーリストとなってからは専務、副社長を歴任。同時に近鉄航空貨物、箱根高原ホテルなどの社長も務めた。人材の育成にも情熱を燃やし、社員には常に読書の必要性を説いた。購読料を会社が負担して2千人の全社員に5年間、月刊総合誌を自宅定期購読させたこともある。株式上場を目前に控えた昭和49(1974)年、現職のまま64歳で死去。その翌年、「近ツリ」は同業他社に先駆けて、旅行会社としては初となる上場(東証・大証2部)を果たした。