ふじい・よしひろ

大正15(1926)年生まれ。香川県出身。旧制高松中学から東京大学に進み卒業後は三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。銀座、名古屋などの支店長を歴任したほか、MOF担(旧大蔵省担当)として戦闘機のような猛スピードで霞が関の官庁街を飛び回ったことから「ファントム」の異名をとった。昭和57(1982)年に副頭取、同60(1985)年には副会長に就任。本格派のバンカーとして活躍したが、昭和63(1988)年には造船不況で経営不振に陥っていた日立造船へメーンバンクからの再建役として派遣され社長に就任。廃棄物処理施設など環境事業に力を注ぎ、同社の基幹ビジネスへと成長させたほか、造船メーカーとしては異例の飲料事業にも乗り出して「杜仲(とちゅう)茶」をヒットさせた。環境事業の礎を築いた経営手腕から、日立造船の中興の祖と称される。この言葉は造船から環境へと事業を大きくシフトさせていく時期のもの。このあとに「悔いを残さないよう努力すればおのずから道は開ける」と続け、未経験分野の新規事業に取り組む社員たちを鼓舞したという。経営再建のメドが立つと平成7(1995)年には会長へ退き、日経連(現・経団連)副会長、関西経済連合会副会長などを歴任した。平成28(2016)年、90歳で死去。