もぎ・けいざぶろう

明治32(1899)年、千葉県富浦村(現・旭市)で農業を営む飯田家の次男として生まれる。旧名は飯田勝次。成東中学(現・千葉県立成東高等学校)を経て東京商科大学(現・一橋大学)へ進み、産業革命史の権威として知られていた上田貞次郎教授のゼミに学ぶ。卒業後は三井財閥の幹部候補として採用されることがほぼ決まっていたが、上田教授の勧めで大正15(1926)年に野田醤油へ入社。昭和4(1929)年、茂木とき子(初代茂木啓三郎の養女)と結婚。昭和10(1935)年には先代の死去に伴い家督相続し、二代目啓三郎を襲名した。昭和17(1942)年に取締役、同22(1947)年には常務に就任。昭和37(1962)年に社長に就任するとトマトケチャップやトマトジュース、ワインなどの販売を開始。新規事業分野を積極的に開拓して業容を拡大すると、昭和39(1964)年には社名をキッコーマン醤油に変更した。昭和48(1973)年、米国ウィスコンシン州に初の海外生産拠点となる醤油工場を建設。昭和49(1974)年に退任して会長に退くまでの12年間、トップとして陣頭指揮を執り続け、「キッコーマン」が世界ブランドとなる礎を築いたことから〝中興の祖〟と呼ばれる。昭和45(1970)年には千葉テレビの初代社長にも就任、本業の社長業と兼務し、地元産業の振興にも尽力した。平成5(1993)年、94歳で死去。