つぼうち・ひさお

大正3(1914)年生まれ。愛媛県松前町出身。昭和9(1934)年、弓削商船学校(現・弓削商船高等専門学校)を卒業し南満州鉄道に入社。敗戦によりシベリア抑留を余儀なくされ、昭和23(1948)年に復員。父親が松山市内で経営していた映画館を引き継ぐと、配給系列の異なる作品を二本立てで上映して成功を収める。昭和28(1953)年には来島船渠(来島どっくの前身)の社長に就任し造船業へ進出。その後も奥道後国際観光やオリエンタルホテル、ダイヤモンドフェリー、関西汽船など多数の企業を傘下に収め、コスト削減と信賞必罰人事を徹底。いずれも経営再建を果たした経営手腕から「再建の神様」「船舶王」「四国の大将」などと呼ばれた。昭和53(1978)年には福田赳夫首相や永野重雄日商会頭、池浦喜三郎興銀頭取ら政財界首脳からの強い要請により、深刻な経営不振に陥っていた佐世保重工業の社長に就任。200億円以上あった累積赤字を4年で解消し短期再建を果たした。最盛期には造船、海運のほかホテル、銀行、新聞社など約180社からなる来島グループの総帥として辣腕を振るった。その生涯で数多く手がけた会社再建のエピソードが小説の題材にされることも多く、柴田錬三郎『大将』、落合信彦『戦い、いまだ終わらず』、高杉良『小説会社再建-太陽をつかむ男』、半村良『億単位の男』といった作品で取り上げられている。平成11(1999)年、85歳で死去。