そうま・あいぞう

明治3(1870)年、長野県白金村(現在の安曇野市)の農家に生まれる。旧制松本中学を3年で退学し東京専門学校(早稲田大学の前身)に学んだ。在京中にキリスト教に入信して洗礼を受ける。明治23(1890)年、卒業と同時に北海道へ渡り、札幌農学校で養蚕学を修めて帰郷した。翌年には『蚕種製造論』を著して全国の養蚕家から注目されるようになる。明治31(1898)年、仙台藩士だった星喜四郎の娘でキリスト教信徒の星良(相馬黒光)と結婚。黒光が安曇野での養蚕農家の生活で身体をこわすと療養のために上京、それ以後は東京で暮らし続けた。明治34(1901)年、東京大学の赤門前にあったパン屋「本郷中村屋」を買い取り、同37(1904)年には日本で初めてクリームパンを発売した。新宿に移転したのは明治40(1907)年のことで、2年後の同42(1909)年には現在の「新宿中村屋」本店ビルの場所に店を構えた。外国人技師・職人を高給で雇い、中華饅頭や月餅のほか「ロシヤチョコレート」「朝鮮松の実入りカステラ」「インド式カリー」「ボルシチ」などの新製品を次々に発売。食堂や喫茶室を開設して事業を拡大するとともに、芸術家・文芸家のためのアトリエを併設して新宿の文化サロンとしての役割も果たした。大正4(1915)年には日本に亡命してきたインド独立運動の活動家ラス・ビハリ・ボースをかくまったり、ロシアの盲詩人・童話作家ヴァスィリー・エロシェンコらの面倒をみたりもした。「インド式カリー」や「ボルシチ」のヒット商品は、こうした〝危機〟や〝負担〟が、〝機会〟となって生まれたもの。昭和29(1954)年、85歳で死去。夫人の黒光もその翌年、80歳で死去した。