もりた・あきお

大正10(1921)年、愛知県名古屋市(盛田家の出自は常滑市)に盛田久左衛門の長男として生まれる。生家は代々続いた造り酒屋で父は盛田家第14 代当主。母親は大垣共立銀行頭取だった戸田鋭之助の娘で、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる。愛知県第一師範学校附属小学校(現在の愛知教育大学附属名古屋小学校)から旧制愛知県第一中学校(現在の愛知県立旭丘高等学校)に進み、第八高等学校(現在の名古屋大学)を経て大阪帝国大学理学部物理学科に学ぶ。卒業後は海軍士官に任官。海軍技術中尉時代にメンバーとして参加していた「戦時科学技術研究会」で、戦後ともにソニーを創業する井深大と出会う。昭和21(1946)年、井深らとソニーの前身である東京通信工業を設立し取締役に就任。昭和25(1950)年には早くも日本初のテープレコーダー「G型」を発売。その翌年、三省堂創業家の4女・亀井良子と結婚。昭和30(1955)年には日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した。昭和46(1971)年、社長に就任。それからわずか5年後の昭和51(1976)には会長に退いた。この言葉はオイルショック時にサンディエゴ工場のマネージャーに言ったもの。「利益が下がってもいいから全員をキープしろ。そのかわり、不景気の間を利用して社員教育を行う」と宣言し、その言葉通りに実行した。平成11(1999)年、78 歳で死去。