かめい・まさお

大正5(1916)年生まれ。兵庫県神戸市出身。旧制第一神戸中学校から岡山の旧制第六高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。昭和14(1939) 年に卒業すると住友本社へ入社。戦中は法務見習士官として広島城内の将校宿舎にいたため、昭和20(1945) 年8月6日の米軍による原爆投下で被爆した。爆心地からわずか340 メートルの至近距離で9人の同僚はすべて死亡したが亀井だけは奇跡的に助かり、終戦の翌年春には大阪へ移り住んだ。昭和21(1946)年、住友電気工業に入社。昭和48(1973) 年に社長就任、同57(1982) 年には会長へ退き、平成3(1991)年からは相談役を務めた。昭和56(1981) 年から同58(1983)年まで第二次臨時行政調査会第3部会長を務め、地方行政組織や許認可、補助金問題などに取り組んだ。また、その直後には、臨時行政調査会の土光敏夫会長から要請されて国鉄再建監理委員会委員長に就任し、累積債務37兆円と職員30万人を抱える国鉄の経営合理化に手腕を発揮。37 兆円の債務のうち36 兆円を切り離して国鉄清算事業団に負担させるなど国鉄の分割民営化を推進し、JR グループ発足への道筋をつけた。平成14(2002) 年、86 歳で死去。