なかじょう・たかのり

昭和2(1927) 年、長野県森村(現在の千曲市)に生まれる。陸軍予科士官学校に第60 期生として入校し本科へ進むが、敗戦により陸軍士官学校そのものが閉校となったため士官候補生としての生活を終える。最終階級は陸軍兵長。戦後は旧制松本高等学校(現在の信州大学の前身)文科乙類を経て学習院大学文政学部政治学科に学ぶ。昭和27(1952)年に卒業しアサヒビールへ入社。当時のビール業界を代表する存在だった山本爲三郎社長のもとで頭角をあらわし、入社10 年目の昭和37(1962) 年にはアサヒ改革の抜本策をつくるよう命じられ、2年後の昭和39(1964)年にキリンの「ラガー」に対抗する商品として瓶詰の「生」を発表した。この言葉はその当時を振り返ってのもので、「期待をかけることが最大のほめ言葉だということを山本爲三郎から教わりました」と語っている。東京支店長、大阪支店長などを歴任し、昭和57(1982)には常務取締役営業本部長として「アサヒスーパードライ」の販売を指揮。これを大ヒットさせてアサヒの代名詞的な主力商品に育て上げた。昭和63(1988) 年、代表取締役副社長に就任。平成2(1990)年には子会社のアサヒビール飲料(現在のアサヒ飲料)の代表取締役会長に就任した。平成26(2014) 年、87 歳で死去。