なかしま・とういちろう
明治16(1883)年、愛知県西尾市に生まれる。生家は代々続く眼科医で、祖父も父も当地で開業していたが、父の代で親戚の借金の保証人になってしまい家が破産。名古屋市内に転居し、明治26(1893)年には母を亡くす。10歳で上京し、明治35(1902)年に東京府立第一中学校(現在の都立日比谷高校)を卒業。水産講習所(のちの東京水産大学。現在の東京海洋大学)へ進み、明治40(1907)年に卒業すると採掘工場の帳簿係などを経て近衛輜重兵大隊に1年間入隊する。除隊後の明治42(1909)年、缶詰会社の若狭商会へ入社。大正年(1912)年には農商務省の海外実業実習生に選ばれて欧米に渡り、現地でマヨネーズと出会う。帰国後の大正7(1918)年、缶詰販売業の中島商店(その後、中島董商店と改称)を設立し食品業界へ進出。翌年には食品工業株式会社(現在のキューピー)を設立して食品製造も開始する。マヨネーズは大正14(1925)年に製造を開始し、その販売は昭和47(1972)年まで中島董商店が行っていた。みかん缶詰の製造販売でも成功し、昭和7(1932)年には広島県竹原市で旗道園(現在のアヲハタ)を設立。水産講習所の後輩で中島董商店に入社していた地元出身の廿日出要之進(はつかで・ようのしん)に経営を任せた。上の言葉は後継者の藤田近男に向けてのもの。昭和46(1971)年、キューピーの2代目社長を藤田に任せる際、こう語ったという。昭和48(1973)年、90歳で死去。