コストカットしたい…でも……

社員の個人事業主化に潜むリスク

社会保険料の負担増が影響


 アベノミクスの恩恵が一向に中小企業まで波及しないなか、安倍政権は厚生年金未加入企業への対策を強化するなど、中小事業者への圧力を強め続けている。従業員を社会保険に加入させることは法的義務ではあるが、1円でもコストカットを図りたい経営者にとって社会保険料が重負担となっているのは事実だろう。従業員を〝個人事業主化〞して請負や業務委託のかたちを取ることで保険料負担を回避しようと考える事業者もいるが、労基署にいったん偽装請負と認定されてしまえば、さまざまな〝しっぺ返し〞を食らってしまうことを認識しておきたい。


 保険料を従業員と会社で折半する厚生年金への加入義務は、法人か個人事業主かで扱いが変わる。もし法人であれば、ほぼ無条件で加入しなくてはならない。社長1人でも加入義務がある。また個人事業主でも、農林水産業や宗教といった少数の例外を除けば、従業員が5人以上いるなら厚生年金に加入することが求められる。

 

 さらに近年では、これまで加入義務のなかったパートタイマーやアルバイトについても対象を拡げる改正が次々と行われている。昨年10月からは、従業員501人以上の企業に限定した上で、①週20時間以上の労働時間、②月額賃金8万8千円以上(年収106万円以上)、③勤務期間が1年以上続くことが見込まれる――という3点全てに該当したパートタイマーやアルバイトについては、厚生年金に加入させなければならなくなった。契約上は短期労働者であろうと、実質的に正社員に近い働きをしているのであれば社会保険も同等に扱うべきというのが理由だ。

 

 そして今年4月からは従業員500人以下でも、労使の合意があればパートタイマーやアルバイトが社会保険に加入できるようになっている。負担の増える会社側が合意に応じる可能性は高くないため、現段階では実効性のない見直しとも言えるが、これを将来的な全パートタイマーと全アルバイトの加入義務化を踏まえた〝地ならし〞だとする見方は強い。その時期は、「早ければ3年後」(都内の社会保険労務士)とも言われ、すべての事業者にとって無関心ではいられない。

 

 実際に社員を厚生年金に加入させることで、会社が負う金銭負担はどれほどのものになるのか。従業員の年齢や給料によって計算は変わってくるものの、例えば30歳で給与が額面30万円の社員が1人いたとすると、会社が負うべき健康保険料と厚生年金の負担額は、おおよそ月額4万1千円ほどだ。さらにここに、従業員数や法人個人にかかわらず加入義務が生じる雇用保険と労災保険の負担が3500円ほど加わり、会社が従業員1人につき負担する一カ月のコストは約4万5千円となる。もちろん労災以外は従業員の自己負担分もあり、おおよそ会社負担分と同額だ。

 

 社員1人で月額4万5千円の負担ならば、社員が10人いれば45万円の負担となる。それを1年通算すれば約540万円だ。もちろん従業員それぞれの老後の生活を保障するという社会保険の目的を考えれば、加入を義務化することが正しいのは言うまでもないが、会社にとってこの数百万円が、経営を圧迫するほどの負担になりかねないことも、また現実だと言えるだろう。

 

1年で11万5千事業所を〝指導〟

 こうした重負担を嫌って、厚生年金への加入を逃れる会社は全国に数多く存在し、その数は50万事業所とも80万事業所とも言われている。

 

 数年前までは100万を超える事業所が未加入だったとも言われるが、その数を急激に減らしているのは、安倍政権が未加入企業への取り締まりをどんどん強めているからだ。

 

 昨年には「事業所が責任を果たさない状況を放置するのは問題だ」という安倍首相の一言のもと、未加入事業者の実態把握に100億円の予算が盛り込まれ、2016年度だけで約11万5千の事業所を〝指導〞し、新たに厚生年金に加入させた。

 

 さらに厚生労働省は、国税庁などと連携しての徴収体制の強化に着手している。国税庁からは源泉徴収のデータを受け取り、それを日本年金機構の持つ情報と突き合わせ、従業員に給与を支払っているにもかかわらず保険料を納めていない事業者を割り出すという。すでに年2回の情報提供は14年度から始まっているが、今秋からは毎月に改め、その他に事業許可の申請を求めてきた企業について逐一厚生年金への加入状況を調査する取り組みも広げていく方針だ。

 

 取り締まりがますます厳しくなるなか、〝合法的〞に保険料負担を逃れられる方法として昨今注目を集めている方法がある。それが「社員の個人事業主化」だ。これまでの社員を個人事業主として独立させた上で業務委託や業務請負といった形で仕事をさせることによって、社会保険の加入義務対象となる「従業員」から除外するというのが、このやり方だ。

 

 もともとは長く続く不況のなかで人件費にかかるコストカットを図り、さらに消費税のかかる外注費として計上し、後から消費税分の還付を受ける〝裏ワザ〞として考え出されたが、社会保険の会社負担が増しつつあるなかで再び注目を浴びつつある。

 

 確かに法律上、従業員でなければ社会保険の加入義務は生じない。個人事業主化が社員との合意のもとであれば問題ないようにも見える。しかし〝裏ワザ〞とも呼べるこのやり方は、一歩間違えば「偽装請負」の烙印を押され、会社にとんでもないしっぺ返しがあることを覚えておきたい。

 

 社員を「個人事業主」として扱うためには、①業務に関して一定の専門性があって業務遂行や時間を自己の裁量で管理すること、②交通費や諸経費を自分で負担すること、③個人業として税法上の処理をすること、④委託契約書等を締結すること――といった条件が必要となる。本来は、請負で仕事をする大工、自分の車を使用してお歳暮などの宅配を行う事業者などが想定されているものだ。当然、工場の流れ作業で製品を組み立てている工員や、日給のアルバイトは含まれていない。

 

 社員を個人事業主化しても法律上は一見問題ないように見えるが、実際には、従業員か個人事業主かの判断は、具体的な仕事内容や業務の流れ、指揮命令系統などといった実態で判断される。つまり双方が納得すれば個人事業主とすることができ、何時間働いても社会保険に加入する義務がないということではないわけだ。

 

 健康保険法や厚生年金保険法では、本来は雇用であるべき従業員を個人事業主として扱っていたことが発覚した時には、会社側に罰則があると規定されている。もし労基署に、個人事業主としているにもかかわらず実態は単なる従業員と「偽装」認定されてしまえば、その間の社会保険料が遡及して徴収されることになるだけでなく、最大で懲役6カ月以下の罰則もあり得る。

 

 懲役刑とまではいかなくても、厚生労働省の調査が入り、保険料の徴収時効である2年分の社会保険料の支払いを命じられる事例は多数報告されているというから、心当たりのある事業者は雇用形態の見直しを急いだほうがいいかもしれない。

 

偽装請負で会社責任に

 また厚生年金以外でも、「従業員ではなく個人事業主だから会社とは関係ない」と考えていると、さまざまな場面で痛い目に合う。例えば、個人事業主になった「元従業員」とトラブルになったとき、「従業員が納得して個人事業主になったのだから自己責任だ」という主張をしても意味がない。

 

 労働基準法では「労働者の権利の放棄は認めない」という基本的な考えがあり、実態として雇用が継続していると判断されれば、個人事業主となったことは無視され、従業員として扱うための法律が適用されることになる。

 

 その他、業務場所へ向かう途中のけがについても、実態として個人事業主ではなく雇用関係にあったと判断されれば労災保険が適用される可能性もあるだろう。

 

 税金面で見れば、個人事業主への業務報酬として支払っていた金額が、実質的に給与だったと認定されると、資本金1億円超の企業であれば外形標準課税の税額にも関わってくる。従業員の保険料負担を惜しんだばかりに、脱税認定までされてしまい、多額の追徴課税をされる可能性もゼロではない。

 

 「偽装請負」という言葉は、2006年にカメラや事務機器大手のキヤノンが1万5000人あまりを工場などで個人事業主として働かせていたことで、広く知られるようになった。

 

 その後も人材派遣業者などで大規模な偽装派遣が発覚するなど、これまでは大企業に関係するものとして知られてきたが、今後は中小企業による「偽装」の発覚が続出する可能性もある。

 

 もし従業員の個人事業主化を考えるなら、目先の負担減を求めた結果として厳しいしっぺ返しを受けないよう、専門家と入念に相談した上で、実態を伴ったものにするよう注意が必要だ。

(2017/08/03更新)