放置すると預金口座が凍結

できている? 認知症への備え


 厚労省の推定によると、現状の発症率を基に換算した認知症の患者数は、2025年には675万人に及ぶという。さらに、認知症の発症リスクは糖尿病に罹患すると高まるとされており、糖尿病患者の増加分を加味すると730万人にまで膨らむ。実に高齢者の5人に1人が認知症となる時代が迫っている。経営者はもちろんのこと、後継者が発症する可能性もゼロではない。企業は何らかの対策を講じておきたいところだ。


 認知症の親の介護のためにお金が必要になった人が、親の口座に入ったお金を使うために金融機関に出向いたとする。いくら親のために使うと説明しても、銀行は「ご本人の意思に基づく委任がなければ、支払いに応じることはできません」などと出金を断るだろう。銀行としては預金者保護のための対応だ。

 

 預貯金は基本的に委任状があれば代理人でも引き出すことができるが、認知症で意思能力がない人はそもそも「委任」という法律行為ができないため、預金は実質的に凍結状態となる。認知症が抱える大きなリスクのひとつだ。

 

 厚労省によると、認知症の人にかかっている医療費と介護費、さらに家族による介護分の金額を合計すると、日本全体で年間14兆5千億円になるという。認知症1人当たりだと年間382万円。本人の銀行の口座が実質的に凍結されてしまえば、大抵は家族がこれらの費用を負担せざるを得ない。

 

発症前に後見人を選ぶ

 認知症を発症した人の口座からお金を引き出すには、本人に代わって財産を管理する後見人を家庭裁判所が選ぶ「法定後見」の制度を利用するしかない。ただ、家庭裁判所の判断によっては親族以外の人が財産を管理することになる可能性がある。確実に親族に後見人になってもらいたいのであれば、認知症になってから後見人を選ぶ法定後見ではなく、認知症になる前に本人が後見人を選んでおく「任意後見」を利用する必要がある。

 

 預金口座からの引き出し以外にも、認知症で意思能力がなくなった人は、不動産の売買、法的効果を持つ遺言の作成、生命保険への加入などの一切の法律行為ができなくなる。判断能力がないことにつけ込んで不利な条件で契約を結ばされてしまうケースを防ぐためのルールで、もし認知症の人が自分に不利な条件で契約を結んでしまっても、裁判所で契約時に意思能力がなかったと判断されると無効にできる。

 

 もっとも、認知症というだけでただちに契約が無効となるわけではない。契約が有効か否かは最終的に裁判で争うことになるが、裁判所では、意思能力の有無について、医師の診断などの医学的な観点、契約締結前後の言動、契約の内容などを踏まえて総合的に判断する。過去の判例を紐解くと、契約の内容が明らかに不利であり、また契約した者が普段から自分の意思をうまく表明できない状態にあったケースでは契約が無効と判断されていることが多い。

 

 認知症になった時の問題は財産に関するものだけではない。社長に認知症の兆候が現れると、後継者としては早い段階で経営権を握って会社を立て直したいところだが、認知症は自覚できないことも多く、社長が病院に行くことを拒み、引き継ぎが行われないことがある。さらに社長の意思能力が完全になくなった後だと、社長の自社株は誰にも移動できなくなるため、後継者は経営権を握れず、経営上の重要な判断ができないことさえある。事業継続の確実性を高めるには、社長自らが率先して事前に対策を講じておくしかない。

 

 認知症への備えとして使われる方法には、自分の財産の使いみちを事前に決めることができる「民事信託」がある。株式の議決権を後継者に譲るという信託契約を結んでおくことで、経営者が認知症になった後も後継者が議決権を行使でき、経営が滞ることはなくなる。株式からの配当などの受益権が自分のままなら、後継者に贈与税や所得税が課税されることもない。成年後見制度と違い、株式の配当権などの財産権と、経営権を分離することができるのが信託の強みとなっている。

 

若い後継者にも発症リスクあり

 認知症になる可能性があるのは社長だけではない。厚労省が2009年に公表したデータによると、64歳以下の人のうち4万人が認知症を発症しており、若い後継者であっても発症することが十分考えられる。信託では後継者が認知症となるリスクについても対応が可能で、後継者が議決権を信頼できる人に託しておけば、悪意のある者が経営の実権を握ることはなくなる。

 

 信託法では、財産の管理を任された者は善管注意義務や忠実義務などを負い、不正があれば損害全額の賠償責任と原状回復の義務もある。だが、それでも横領などのリスクが完全に払しょくされるわけではないので、利用の際には信頼できる相手を見つける必要がある。

 

 今後は、認知症患者の増加に伴い、患者の持つ資産の総額が大きく上昇する。第一生命経済研究所が8月に公表したレポートでは、1995年に49兆円だった認知症患者の金融資産の総額が、2030年には215兆円に達すると試算している。認知症患者の資産は自由に運用や処分ができないことを考えると、現在の国家予算の2倍以上の資産が〝塩漬け〞になる可能性がある。金融機関にとっては生活費など最低限の費用しか引き出されないのはありがたい状態かもしれないが、社会にお金が回らなくなることで経済の停滞を招きかねない。

 

 どのような対策も何かが起こってからでは遅い。700万人の高齢者が発症する時代を目前に控え、早めの対策が不可欠となっている。

(2018/10/31更新)