本紙新米記者が考えた

わが家の相続シミュレーション

「私はもともと、この兄嫁が気に食わない」


 日本新聞協会に加盟する新聞社の中で、唯一の「税金の専門新聞社」であるエヌピー通信社では、毎年「相続を考える週間」運動を展開するなど、相続の問題を最重要テーマのひとつとしています。どこの家庭にも必ず訪れる、相続というタブー視されがちな問題を家族でオープンに話し合ってもらおうという趣旨です。いわば、「相続を見つめて68年」のエヌピー通信社ですが、そこに勤務してまだ3年目のわたし自身は、じつのところ、相続と言われてもまったくの他人事でした。しかし編集部内で「国民総相続時代だな」とか「ウチも引っ掛かるかも…」などと先輩記者が話しているのを聞くと、わたしもだんだん心配になってきました。わたしの父は、中部地方のある地方都市で耳鼻咽喉科を開業しています。小規模の診療所で、いわゆる「町医者」と呼ばれる医院です。そこで今回、仮想の「山田家の相続会議」を開き、「わが家の相続シミュレーション」をしてみました。繰り返しますが、あくまでも「仮想」であることを、最初にお断りしておきます。実際のわたしの家族はみんな仲良しですし、お酒が大好きで「医者の不養生」の典型のような父も、いまのところ、まだ元気でいます。

【本紙編集部 山田佐和子】


 わたしの父は開業医で、これまでよく「医者の娘だから、きっとリッチな暮らしをしてきたのだろう」「甘やかされて育ったのだろう」などと言われてきた。冗談ではない。はっきり言って、「医者の娘」という世間の色眼鏡には迷惑している。たしかに、貧乏ではなかったが、暮らしぶりはいたって質素だった。わたしは都会の「大病院の令嬢」ではなく、地方都市の「町医者の娘」にすぎないのだ。

 

 実家は、100坪ほどの敷地の道路に面した部分に診療所があり、その奥に母屋である自宅が建っている。実家には両親と妹が住んでいる。老舗新聞社で〝敏腕記者〟として立派に独立しているわたしは東京で一人暮らし。地元の私立医大をようやく卒業した兄は、大学病院での御礼奉公が終わるとすぐに結婚して子供が一人、いまは民間の総合病院に勤務している。

 

 いつもはバラバラに暮らしているわが家だが、「山田耳鼻咽喉科医院」の創立者である偉大な「じっちゃん」をはじめとするご先祖様を供養するため、お盆だけは必ず家族全員が集まる。これは山田家の古くからの決まりだ。

 

 集まるといっても特別なことはない。お墓参りをして昼間からビールを飲み、遠い親戚の誰々が亡くなったとか、父の弟で「寅さん」のモデルのような生活をしている自由人、ヒトシ叔父さんの糖尿病が悪化して旅にも行けないようだとか、そんな話をして時間が過ぎる。だが今年は違う――。

 

相続会議作戦あえなく撃沈

 わたしは全員が集まったところで、「ウチは相続について、そろそろ話し合っておかなくていいの?」と切り出してみた。

 

 瞬間、「バカなことを言うもんじゃない、なんだコイツは」という空気が流れたのを誰もが感じた。だが、暗い方向に進むことを察知した父がすかさず「おいおい、もう殺す気か」と笑い、母は「財産も何もないし、心配ないよ」と、話を先に進ませないよう取り繕う。

 

 兄の嫁は話の成り行きに興味があるようだが、まだ一人では食事が上手にできない息子(この甥っ子は本当にかわいい)の口元を拭いたり、お膳の上を片付けたりして聞こえないふりをしている。

 

 新米勤務医である兄の給料が「医者なのに驚くほど安い」などと文句を言っているこの兄嫁が、わたしは以前から気に食わない。義姉のほうも、新聞社勤めのわたしに対して「マスコミぶりやがって」といった思いがあるようだ。

 

 兄も、わたしの相続会議への誘いには乗ってこないで、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。当然、医師免許を持つ「3代目」の自分が、全財産を引き継ぐものだと決めてかかっているのだろう。戦前の家督じゃああるまいし。そして2歳下の妹は、相変わらずぼんやりしているだけだ。

 

 それでもわたしは「でも、この家と診察室(わが家では別棟の診療所をこう呼んでいる)と土地があるじゃん。貯金もゼロじゃないだろうし、ほら、お友達に勧められて始めた株だって少しはあるんでしょう」と話を戻してみたが、「親の財産に頼るんじゃない。独り立ちしたんだから遺産なんかに期待するな」と、あらぬ方向から父に怒られてしまった。

 

 さらに母からは「仕事に夢中になって結婚もしないで、まったくこの子は……。早く彼氏の一人でもつくって紹介してちょうだいよ」と、いつものスジで責められた。決してモテないわけではないのでこの際はっきり言っておくが、わたしにだって彼氏はいる。妹にしか紹介していないだけだ。

 

 そうこうしているうちに父から「みんなのことは考えてあるから心配するな」と、相続ネタの終息宣言を出され、わたしの「相続会議」作戦はあえなく撃沈した。

 

不作為が〝争族〟を生む

 そして翌年、脳溢血で父が亡くなった。そもそも病院に通わないのだから、医者の死ほどあっけないものはない。倒れる前日までつけていた日記には、基本的にすべてを母が相続することに加え、母に対して「現金や株は子どもらにも分けてやれ」などと書かれていた。昨年、わたしが「相続会議」でしつこく食い下がったから書いておいたのだろうか。父の気持ちに泣けてきた――。

 

 だがしかし、これでは「遺言」とは言い難い。母がこの家に住み続けるのは当然として、現預金やら有価証券やら、その分け方がまったくもって不明だ。おそらく、いつも長男風を吹かせて威張っている兄が、母にかわってわたしと妹に気持ち程度の「分割」をするのであろう。

 

 兄妹でもめる姿を母に見せたくはないが、兄に仕切られるのも、また兄を通じてあの義姉に父の金が渡るのも面白くない。よく言われるように「葬儀が争議の始まり」になりつつあった。そして葬儀から何日も経っていないのに、「あんな曖昧な表現でなく、きちんとした遺書を残してくれていればよかったのに」と、父を責める気持ちがもたげてきた。

 

 家族のもめ事をいちばん嫌っていたのは父であるはずなのに、日記やメモを残す以外は「何もしない」という不作為が結局は〝争族〞を引き起こすという現実に、わたしは直面することになるのだった。

 

 兄は父の預金通帳やら有価証券を勝手に引っ張り出してはそろばんを弾き、わたしや妹に分け与える分を計算しているようだ。そんな兄に対して母は強くは言えず、あろうことか「サワちゃんにも少しはあげなさいよ」などと言っていることを妹が教えてくれた。母にしても、すでに遺産の処分は兄の役目と思っているようだ。

 

 わたしは兄に勝手な処分はしないよう念を押し、相続について勉強をしなおすことにした。その結果、自分の欲する情報が世の中にはあまりにも少ないことに気がついた。書店に並ぶ相続関係の本には「争族にしないための相続」といった内容のものは数多くあるが、わたしが知りたいのは「兄に勝つ相続」「兄嫁に渡さない相続」といったものだ。こうしたタイトルにはなかなかお目にかかれない。おそらく、世間ではすべてのひとの最終目的が「相続を争族にしたくない」というものだと決めつけているのだろう。

 

 そんなことを心から望んでいるのは被相続人である〝本人〞だけだ。すでに、わたしの意識は「喪中」から「戦中」に変わっていた。

 

税理士の関与で解決の糸口は見えてきたものの・・・

 今回の遺産の総額が相続税の課税対象となることが判明したのは、わたしと兄の関係が気まずくなってすぐのことだった。

 

 わたしが実家に住んでいたころは、JRの駅から徒歩20分というだけの立地だったが、近隣一帯で宅地開発がすすみ、シネコンやフィットネスクラブも備えた大型ショッピングモールがオープンしたことで地価が上がっていたのだ。

 

 もちろん、税制改正の影響も大だ。税金がかかるという現実の前に、兄も勝手な遺産処分ができないでいた。冷え切った家族関係、進展しない遺産の分割、そして税金という諸問題を前に、一人で決めたがる兄、対決姿勢のわたし、心配そうな妹、そしてオロオロするばかりの母――。

 

 事態収拾の糸口すらつかめず、もう家庭裁判所の門を叩くしかないと思いはじめたとき、母がわたしに「税理士に相談してみようか。佐和子、税理士の先生に知り合いなんていないよね?」と尋ねてきた。いまになっても母はわたしの勤め先を理解していないようだ。

 

 葬儀から半年、税理士先生の関与によってようやく遺産と税金の問題が解決に向かってきた。やはり早めのプロへの相談が重要なのだ。だが、冷え切った兄妹関係は元には戻らない。この先、母が亡くなったとしたら、もう兄とは会うこともなくなるだろう。

 

シミュレーションを終えて

 

 国民総相続時代に突入したことで、税金・税務のプロである税理士の先生への依頼はより身近なものになった。早めの相談が必須ということが今回のシミュレーションであらためてよくわかった。同時に、どんなにプロの手を借りても、人間関係の修復は困難ということも痛いほど理解した。

 

 プロは大事だ。医療のプロである町医者の娘だけに、心の底からそう思う。だが、事前に家族で話し合いをすることのほうが何百倍も大切なのだ。生死をかけた外科手術よりも予防医学、そしてそれよりも日常の生活習慣を見直すことが大事なのと同じだ。

 

 本紙ご愛読者の皆さま、〝前向き〞に、そして勇気をもって相続を考えてみてください。とくに、ご自身が被相続人となり得る場合は、積極的に相続を話し合う場を作ってみてください。話のリード役は〝本人〞が最適です。わたしの家のシミュレーションは決して特異なケースではないはずです。

 

 相続という、どこの家庭にも訪れる当たり前のことで争いを起こさないためには、事前の話し合いが何よりも効果的なのです。そして、日頃から本紙『社長のミカタ』をお読みいただき、情報収集することが重要です。引き続きご愛読いただけますよう、よろしくお願いいたします!

(2016/07/27更新)