【足の長い先見性】(2017年7月号)


交通事故などで親を亡くした子どもの進学を支援する「あしなが育英会」は、もともと被害者たちの運動から生まれた。その原点には2つの痛ましい事故があった▼昭和36年、新潟で岡嶋信治さんの姉と甥が飲酒運転のトラックにひき殺され、初の殺人罪が適用された交通事故。もうひとつは同38年に玉井義臣さんの母が暴走車にはねられ、1カ月あまりの昏睡状態の末に亡くなった事故。この2人が中心となり交通事故遺児を励ます会が誕生。同44年には交通遺児育英会が発足した▼愛する家族を奪われた悲しみと怒り。矛先のひとつとされたのは救急医療だった。当時、脳神経外科のある大学医学部はごくわずか。専門医養成の遅れを問題視した運動が徐々に実を結び、大学での脳外科開設が急速に進む▼同48年には「ゆっくり歩こう運動」を提起。その声明には「高度経済成長からゼロ成長へ、地球征服者としてのおごりを捨て、生態系の一員である『人』という種にかえり、自然への回帰を図る」とある。二度のオイルショックに見舞われたものの、社会はまだまだ成長期。バブルも、その崩壊による長期不況も、ましてや地球温暖化など予想もつかなかった時代に、だ▼事故撲滅と医療発展の願いを込めた「あしなが運動」が街頭募金活動をはじめて今年で50年となる。