【もらってたまるか】 (2017年3月号)


国会でセンセイ方が年金を語るときに、「将来、年金がもらえなくなる」などと表現していると違和感を覚える。年金は世代を越えて支え合うもの。それまで現役世代として高齢者の生活を支えてきたひとが、その役割を果たし終えたのならば、堂々と胸を張って次世代に支えてもらえばいいだけのこと。「年金は世代と世代の支え合い」、年金標語でもそう強調しているではないか▼「もらう」ものであるのならば、その一方で「呉れてやっている」誰かが存在することになる。力士や芸能人のタニマチと同様、年金制度にもタニマチがいるとでもいうのか▼年金制度は、一方的に支援したり、支援されたりするものではない。誰かからお金を「恵んでもらう」のではなく、「受け取る」ものだと認識したい▼議員が年金を「もらう」ものだと表現するたびに、国からもらっているように錯覚してしまう。「もらえているだけでもありがたいと思え。その年金が減額されるからといってモンクを言うな」というニュアンスに聞こえる▼2006年に廃止された「国会議員互助年金制度」の掛け金は年額126万円で、10年間払い込めば最低でも年額412万円の年金が受給できた。3年ほどでモトが取れる計算だ。地方議員にも似たような制度があった。なるほどセンセイたちの感覚では、年金は「もらう」ものなのだろう。