ながせ・とみろう
文久3(1863)年、美濃国恵那郡福岡村(現在の岐阜県中津川市)の造り酒屋に生まれる。12歳で母方の親戚にあたる塩問屋兼荒物雑貨商「若松屋」に奉公。明治18(1885)年に上京し、150円の資金で米相場を張るが失敗。無一文となった挫折を教訓として「堅実に生きる」ことを生涯の誓いとする。日本橋馬喰町の和洋小間物商「伊能商店」に勤務し、石鹸などの舶来品を取り扱うようになるが、独立するために1年余で退職。明治20(1887)年、23歳で「長瀬商店」を創業し石鹸と文房具の卸売業をはじめるが、輸入石鹸に比べて国産石鹸の品質が劣っていることに不満を持ち、石鹸の自社製造を決意する。明治23(1890)年には商品化に成功し、「花王石鹸」(商標登録出願時は「香王石鹸」)のブランドで売り出して大ヒットとなる。桐箱入り高級洗顔用化粧石鹸の「花王」は贈答用としても珍重され、中元・歳暮シーズンの主力商材となった。宣伝・販促に力を入れ、新聞広告はもちろん景品販売にも着目し、風呂敷や団扇などの「ノベルティ」を積極的に配布。鉄道沿線の「野立看板」を広告利用したのも花王が最初だとされている。明治44(1911)年、結核のため48歳の若さで死去。上の言葉は創業者としての遺訓で、いまも花王の企業理念として受け継がれている。