たけだ・ちょうべえ

明治38(1905)年、大坂・道修町に洋薬商の長男として生まれる。幼名は鋭太郎。生家は天明元(1781)年から続く薬種問屋「近江屋」で、父はその5代目にあたる。「長兵衛」は武田家当主の世襲名。慶應義塾高等部を卒業後、家業に携わる。店は父の代で株式会社武田長兵衛商店に改組し、昭和18(1943)年には武田薬品工業へと改称した。家督相続で武田家の6代目当主となり「長兵衛」を襲名。同時に武田薬品工業の2代目社長に就任した。経営の多角化・近代化を推進し、昭和29(1954)年には大ヒット商品となるビタミンB1主薬製剤「アリナミン」を発売。この成功などによってタケダを業界トップに押し上げた。昭和49(1974)年、31 年間座り続けた社長の座を従弟の小西新兵衛に譲り、自身は会長に就任。関西経済同友会代表幹事、大阪商工会議所副会頭など関西経済界の要職も歴任した。昭和55(1980)年、75 歳で死去。