まつだ・いさお

明治29(1896)年生まれ。香川県三野郡詫間村(現在の三豊市詫間町)出身。香川県立三豊中学校から慶應義塾大学理財科(現在の経済学部)へ進み、大正8(1919)年に卒業すると三越本店に入社。和服に前掛け姿で連日残業という職場だったため、慶大から入社した13人が半年で3人にまで減ってしまったという。昭和5(1930)年に異例のスピード出世で京城支店次長となると、同店を大阪支店に匹敵するほどの優秀店に育て上げた。昭和13(1938)年には大阪支店次長となり、同15(1940)年には昇進して仙台支店長に就任した。昭和17(1942)年、古巣の京城支店に支店長として赴任。昭和20(1945)年、敗戦の報に触れるとただちに閉鎖準備に着手。店員とその家族、合計約300人の生命を守り全員を無事に帰国へと導いた。昭和21(1946)年取締役本部長に就任、同24(1949)年には常務に昇任し戦後の三越再建に手腕を発揮した。昭和38(1963)年、社長に就任すると積極的な増改築に取り組み売場を増床。新規出店による多店舗展開、そして三越イメージの大衆化を推進した。昭和46(1971)年には小売業で日本初となる売上高1000億円を達成し、三越近代化の功労者とされた。昭和47(1972)年、社長の座を岡田茂(故人)に譲り会長に退くと、同年6月に76歳で死去。