あんどう・ももふく
明治43(1910)年、台湾出身。亡父の遺産を元手に始めたメリヤス販売などで財を築いたが戦災で灰燼に帰す。戦後は製塩業を手掛けるがGHQから脱税の疑いをかけられ収監中に事業整理。理事長を任された信用組合は経営破綻。このとき46歳。それからわずか2年後の昭和33(1958)年、48歳の夏に即席めん第1号となる「チキンラーメン」が完成する。カップめんの商品化をめぐっては、開発チームに「赤いエビが必要なんや!」と号令。新技術だったフリーズドライ製法を取り入れ、昭和46(1971)年に「カップヌードル」が誕生した。以来、世界中で食された数は1千億食を超える。「明確な目標を定めたあとは、執念だ。ひらめきも執念から生まれる」。不屈のインスタントラーメン王は平成19(2007)年、96歳で死去。米紙ニューヨークタイムズは訃報とともに「ミスターヌードルに感謝」と題する社説を掲載した。