つつみ・やすじろう

明治22(1889)年、滋賀県八木荘村(現在の愛荘町)に麻仲買兼業農家の長男として生まれる。海軍予備学校(京都)を経て明治42(1909)年に早大政経学部入学。在学中に株式相場で6万円の利益を得ると、明治44(1911)年には日本橋蛎殻町の三等郵便局長(後の特定郵便局長)となり、渋谷で鉄工所も経営した。その後も雑誌の経営や真珠養殖などに次々と手を出すがいずれも失敗。大正6(1917)年以降は軽井沢、箱根の別荘地開発に乗り出し、大正12(1923)年には駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)を経営する。翌年には衆院議員に初当選。それ以後、合計13回の当選を果たし、昭和28(1953)年には衆院議長にも就任した。また、関東大震災を契機として、都内にあった皇族や華族の大邸宅跡地の分譲にも着手したほか、昭和15(1940)年には武蔵野鉄道の株式を大量に購入して多摩湖鉄道と合併させ、現在の西武鉄道の礎を築いた。昭和39(1964)年、75歳で死去。本葬は自民党葬として豊島園で営まれた。東京五輪にあわせて建設を計画した東京プリンスホテルの完成を目にすることはできなかった。