「独身税」が猛反発を招いたワケ

結婚しなければ罰金!

未婚がペナルティーの対象に?


 石川県かほく市のプロジェクトによる市民ボランティアグループ「かほく市ママ課」のメンバーが、子育て世帯の負担を未婚者に負担させる「独身税」を提案したことが反発を招いている。未婚であることをペナルティーの対象と捉え、それを税として課すことが反発を生んだわけだが、過去にも特定の属性を持つ人にだけ税負担を課す「懲罰税」は存在した。こうした懲罰税はどのような理由で設けられ、どのような結果を生じてきたのか。税の歴史をひもときながら見てみたい。


 かほく市ママ課が「独身税」の話を持ち出したのは、財務省の阿久澤孝主計官との面会の場だった。メンバーから、子育てには費用がかかり家計の生活水準が下がるため、結婚や育児にかかる金銭負担のない独身者に負担をお願いできないかという趣旨の提案があり、阿久澤氏は「独身税の議論はあるが、進んでいない」と答えたという。

 

 一連のやり取りが報道されると、インターネット上では独身税に対する反論の嵐が巻き起こった。結婚という人生の一大事についての個人の選択に対して、国がペナルティーを設けるのか、というのが主な反対意見だったようだ。慌てたのはやり玉に挙げられたかほく市で、メディアの取材に対して「世代や家族構成によって必要な経費が違うという話があっただけ」とコメントした上で、ホームページに「市として国に対して独身税を提案するものではありません」と釈明する声明を発表するなど、火消しに追われた。

 

 少なくとも国の動きとして、近年の税制改正大綱などでは独身税に触れたことはない。ただし2017年度税制改正の目玉となった「配偶者控除」の見直し議論に当たっては、非婚化対策として夫婦世帯に新たな控除を創設するという形で、相対的に独身者の負担増となる夫婦控除の創設を検討した事実はあり、既婚か非婚かで負担に差が付く可能性はゼロではない。

 

旧ソ連では50年間も導入

 財務省の担当官が「議論はある」と言ったように、独身税は洋の東西を問わず、今に始まった発想ではない。第二次世界大戦後には実際に独身税が導入された国もあり、例えば旧ソ連では1940年台初頭から90年代初頭まで、実に50年のあいだ「独身・無子税」が存在していた。税率などは時代によって変わるものの、所得が少なかったり医学的に子どもを作れなかったりという例外を除いて、20代半ばから50歳までで未婚もしくは子どもがいないと、賃金の6%ほどの税金を課された。人口を増やし、労働力を育成することが目的で、同様の税はブルガリアやルーマニア、ポーランドなど多くの東欧の国で実際に導入されていた。

 

 出生率の変化は税制以上に医療や経済への影響が大きいため、これらの施策の効果を検証することは難しいが、ソ連では多くの男性が病院で「不妊症」の診断書を偽装して課税を免れたという。また偽装結婚などで税金を回避することもあったようで、多くの国ではその後時をおかずに廃止されていることからも、政府が思っていたような成果は挙げられなかったものと予想される。結婚という決断には、経済状況だけでなく、子育てへの周囲の理解や家族関係など、多くの要素が絡み合っているため、税金面での負担増を強いたところで、独身税が結婚を促す理由にはなり得ないということだ。

 

 こうした特定の属性や行動に対してペナルティーの意味合いで課される税金は「懲罰税」と呼ばれる。独身税は個人の人生計画そのものに制約を課すものだったために反発が大きかったが、大なり小なりの懲罰税は世界中で検討され、実際に導入されているものも多い。

 

 代表的なものとしては「砂糖税」がある。イギリスやフランス、メキシコには、一定量以上の砂糖を含む飲料に1リットル当たり数円を課税する砂糖税が実際に導入されている。ハンガリーでは、ポテトチップスやジャンクフードなどに対して、1キロ当たり80円ほどの税金をかけている。これらの課税の理由を各国政府は「国民の健康維持のため」と説明しているが、実際には不摂生によって国の医療予算を圧迫する人への「懲罰税」の意味合いが強い。

 

 日本でも、たびたび増税が繰り返される「たばこ税」などは限りなく懲罰税に近いものだ。もともとは日清戦争後の財源調達のために嗜好品として課税されていたが、健康リスクが広く警告されるようになった現在では、「非喫煙者に迷惑をかけてまで吸っているのだから、その代償としてどれだけ税金を上げてもかまわない」というものになりつつある面は否めない。喫煙という行為にペナルティーがあるようなもので、実質的には懲罰税と言っていいだろう。

 

公平・中立であるべき税の根本に逆行

 こうした懲罰税は世界中で多く提唱され、なかには導入後長く続いているものもあるが、基本的に短命で終わりがちだ。その理由は、そもそも「税は公平・中立であるべき」とする税の根本に逆らうものだからだ。犯罪でもない個人の性質や行動に国が罰則的に税を課すべきではないと考えるのは自然なことで、人間を一つの型にはめる懲罰税が国民の共感を呼ぶはずもない。

 

 だが実際には、税制を使って国が人や企業の行動をコントロールすることが、おおっぴらに行われているのも確かだ。日本では、企業の設備投資や人材育成、賃上げやあるいは個人の不動産の売買まで、あらゆる行動が「租税特別措置」という名の政策によってコントロールされているのが実情だ。租特は戦後の経済成長のために時限措置として導入されたが、期限が来ても一向に廃止されず、逆に年々増加の一途をたどっている。

 

 税の中立性をないがしろにする租特を増やし続けているのは、懲罰税と同様に税制の政治利用に他ならない。税の公平・中立性を常に問い続ける必要があるだろう。

(2017/11/07更新)