民法上の不可能を可能に

信託が「相続」を大きく変える

自分の財産を思い通りにしたい!


 資産を直接譲り渡すのではなく、第三者を介して分与や管理を行う「信託」の利用が増えている。信託法の改正によってさまざまな使い方が可能になり、これまでの相続では不可能だった財産の自由な承継ができることがその理由だ。しかし一方で、制度に精通した専門家が少ないことで使い方を誤るリスクなどが指摘されており、うまく活用するには制度内容の把握が欠かせない。相続のあり方を大きく変える可能性を持つ信託の現状を見てみる。


 「計画性のない息子にまとめて遺産を渡すことはしたくない」「できることなら誰よりも可愛がっていたペットにすべての財産を渡したい」「ビタ一文たりともやりたくない相続人がいる」。こうした望みを法律の後ろ盾を得て叶えられる制度、それが信託だ。

 

 信託とは「信じて託す」の名のとおり、自分の財産を信頼できる第三者に委ね、指定した受益者のために財産の管理や処分を行ってもらうという制度。通常の贈与や相続が、財産を渡す側と受け取る側の二者関係であるのに対し、信託では「依頼者」から財産を託された「受託者」が「最終受益者」のために財産を管理処分するという三者関係になることが特徴となっている。

 

 もともとは金融庁が認可した一部の信託銀行や信託会社を受託者に指定にする「商事信託」が原則だったが、2007年に信託法が改正されて状況が劇的に変わった。家族や親族、その他の第三者個人を受託者に指定して財産を任せられる「民事信託」が使いやすくなり、それによって信託そのものの使い方の可能性も大きく広がることになった。

 

 それから約10年、法解釈や使い方の研究が進み、これまでの相続では不可能だった財産承継が実現できる画期的な手法として、認知度が急激に上がりつつある。信託の大きな特徴として、信託法が民法の「特別法」として置かれているという点がある。特別法は一般法に優先されるため、民法と信託法が異なった規定を置いている時は信託法が適用されることになる。

 

 例えば認知症になってしまったとする。判断能力を喪失してしまうと、現行の民法では成年後見人を付けない限りは財産を処分したり運用したりすることは一切不可能となってしまう。しかも後見人を付けたとしても裁量は硬直的で、常に家庭裁判所の監督を受けることになる。実際には認知症となった本人の生活費をその都度引き出すことくらいしかできないだろう。

 

 しかしここで認知症になる前に信託によって、受託者に財産の裁量権を委ねておけば、信託した財産については一般法である成年後見制度より特別法である信託法が優先するため、受託者が自由に管理や処分を継続的に行えることになる。もちろん管理処分に当たっては当初の信託契約に従って行わなければならないため、受託者による悪用も防げる。

 

 財産を一括管理できる委託者を定めるという手法は、不動産管理にも活用できる。すでに複数人の共有状態にある不動産は、民法上では権利を売買したり担保設定したりしようとすると、そのたびごとに共有者全員の合意が必要となる。そのなかの一人が認知症になって後見人が付いてしまえば、前述の通り後見人では裁量権が限定されているため自由な処分ができない状態に陥ってしまう。ここで事前に共有者のなかから誰か一人、または管理法人を受託者として指定しておけば、誰かが認知症になったとしても各種の手続きを円滑に行える。この場合も信託によって移動したのは「管理権」のみで不動産の「所有権」そのものは移動していないため、不動産取得税や登録免許税などの流通税は課されない。

事業承継に新たな選択肢

 また信託は事業承継でも役に立つ。自社株は大きく分けて、配当をもらう権利や残余財産の分配を受ける「財産権」と、会社に対して株主としての権利を行使する「議決権」から成り立っている。この二つを切り離し、「議決権」だけを信託で渡すことも可能だという。

 

 例えば長男だけに経営権を集中させつつ次子以降にも納得いくよう株式を相続させたいなら、長男に全株式の議決権を信託しておけば、相続が発生した時には議決権をすべて長男が握ったまま財産分割ができる。逆に経営権はまだ息子に渡したくないが、先々のことを考えて自社株譲渡は進めていきたいという意向があるなら、信託契約に議決権の行使内容を指定する内容を盛り込んでおけば、形式上の事業承継を進めつつも、変わらず経営上の実権を握れるわけだ。

 

 信託契約に財産の使い方を盛り込むという方法は、さまざまな方向に応用を利かせられる。例えば自分の財産が息子に相続されること自体に異論はなくても、若い息子に一挙にまとまったお金が入ることが不安なのであれば、信託契約を通じて段階的に給付すればいい。

 

 また自分が死んだ後のペットの処遇が心配だという人なら、飼育費を信託しておき、面倒を見てくれることを条件として盛り込むことが考えられる。極端な話で言えば、「信託した全財産をペットの幸せのために使うべし」と要求することも不可能ではない。

相続対策にはなるが相続〝税〟対策にはならない

 多様な使い方のある信託だが、使うに当たっての注意点はもちろんある。何より重要なのは、信託を使うことは相続対策にはなっても、相続税対策にはならないという点を押さえておきたい。

 

 信託契約を結んだ時点では、財産の管理権や名義などが受託者に移動するものの、財産権そのものはまだ移動していない。そのため契約時点で課税関係が発生することはないが、受託者を通じて最終的な受益者にお金や権利などが移動した時点で、贈与や相続があったものとみなされて譲渡所得税や贈与税、相続税が課されることになる。信託による受益権の移動は民法上の「相続」には当たらないものの、相続税法9条の2で規定された「みなし相続」として課税されるからだ。つまり信託は原則的には節税にはならない。

 

 また民事信託を使った相続対策は、制度に精通した専門家が不足していることも認識しておきたい。改正信託法自体が新しく複雑なこともあり、制度の利点とリスクを把握してニーズにあった利用法を提示できる専門家はまだ少ない。知識の少ない専門家に法的手続きなどを任せると、後々契約内容に不備が見つかり相続トラブルを招くこともある。

 

 この点について民事信託に詳しい司法書士の河合保弘氏は、一般社団法人家族信託普及協会が開催したシンポジウムで、「書店で売っているような信託についての本ですら、契約書のひな形に誤った内容が記載されていることがある」と懸念を語っている。比較的新しい手法であるため、その使い方についても民事信託はいわば〝発展途上〞だ。活用法についてもいまだに解釈が定まっていない部分もある。その代表的なものが、相続人が法律上最低限取得することができる「遺留分」だ。たとえ信託契約のなかに「財産はすべて長男に譲り渡す」と書いていても、他の相続人から遺留分減殺請求をされてしまえば、信託しようとした内容は骨抜きにされてしまう。

 

 遺留分は民法で定められた相続人の権利だ。これについては、専門家の間でも見方が分かれている。遺留分は請求されないとする側は、「特別法である信託は民法の相続に優先されるため、民法上の規定である遺留分も適用されない。課税当局が信託を『みなし相続』として扱っていることからも、民法上の相続ではないと読み取れる」というものだ。

 

 一方、遺留分を請求できるとする側は、「たとえ形式上はそうでも、相続人の正当の権利を侵害する手法がまかり通るはずはない」と主張する。結論から言えば、遺留分についての疑問に答えは出ていない。新しい手法のため、まだ判例が存在しないからだ。

 

 信託は、既存の相続では到底成し得なかったことを可能にする手法なだけに、今後さまざまな点で司法判断を仰ぐ場面が出てくることが予想される。それによって信託で実現できるとされるさまざまなメリットが覆される可能性も否定はできない。しかし信託が相続対策のあり方を大きく変える可能性を秘めていることは確かだ。これまでになかった資産承継を行える選択肢として、リスクをしっかり把握した上で、専門家の力を借りながら活用を検討していきたい。

(2016/10/04更新)