片倉館

長野・諏訪市(2016年7月号)



 長野県諏訪市湖岸通り。諏訪湖を臨むこの地は、「上諏訪温泉」の名で全国に知られる温泉郷。

 

 「片倉館」は昭和3(1928)年に竣工した洋風建築の温泉施設で、深さ1・1メートルの「千人風呂」を備えている。製糸・紡績業を中核事業として財を成した片倉財閥の当主、片倉兼太郎(2代目)が、創業50周年を記念して建設したものだ。

 

 片倉家は諏訪郡三沢村(のちの川岸村、現在の岡谷市川岸)の豪農で、2代目兼太郎は片倉家の4男「宗広」として文久2(1863)年に生まれた。のちに長兄の兼太郎(初代)の養嗣子となり「佐一」と名乗ったが、大正6(1917)年に初代が亡くなったために世襲名の「兼太郎」を継いだ。

 

 大正9(1920)年には日支肥料(のちに片倉米穀肥料、片倉チッカリンと改称。現在の片倉コープアグリ)を設立。同年、それまでの片倉組を法人化して片倉製糸紡績株式会社へ改組すると社長に就任。本社を東京・京橋に移転した。

 

 大正から昭和初期にかけて、絹製品は日本の輸出額の約4割を占めていたことから、製糸業で大成功を収めた兼太郎は「シルクエンペラー」と称された。兼太郎は大正11年から12年にかけて北中南米と欧州を視察。その全行程は約8万キロにおよんだといわれている。

 

 この際、ヨーロッパ諸国の農村には充実した福利厚生・文化福祉施設が整っていることを実感し、帰国後、諏訪の地域住民にも保養施設を提供したいと考えた。こうした経緯から「片倉館」は片倉一族が拠出した80万円の基金で建設された。

 

 当初から財閥関係者に限らず、一般市民も利用できる温泉施設として開設され、オープン翌年の昭和4年には施設運営のための「財団法人片倉館」も設立されている。1万平方メートル超(約3千坪)の広大な敷地に、温泉大浴場を備える浴場棟と、娯楽・文化交流を目的とした会館棟が配置されている。建物だけで総面積は約2500平方メートル(約750坪)にもおよぶ。

 

 設計は日本統治時代の台湾で活躍した建築家、森山松之助が担当した。

 

 森山松之助は明治2(1869)年、大阪市で生まれた。父親は外交官・貴族院議員の森山茂で、五代友厚は叔父にあたる。

 

 学習院から第一高等学校を経て東京帝国大学工科大学建築学科(造家学科)に進み、当時すでに建築界の巨匠として知られていた辰野金吾に師事した。

 

 卒業後は台湾総督府営繕課の技師として多くの官公庁建築を手がけ、大正8(1919)年竣工の台湾総督府(現在の総統府)や、昭和2(1927)年竣工の新宿御苑「台湾閣」など、いまもその作品が現存している。

 

 浴場棟は鉄筋コンクリート造2階建で、玄関脇の平面八角形の塔屋が印象的。会館棟は木造一部鉄筋コンクリート造2階建の洋風建築。いずれも外壁にはスクラッチタイルが用いられている。

 

 定型的な建築様式にあてはめ難い個性的な建物で、強いて言えば20世紀前後から1930年代にかけてアメリカで発達したゴシックリバイバル、あるいはロマンティックリバイバルに属す様式だと考えられている。窓、切妻、レリーフ、ステンドグラスなどには各時代、各国の様式が巧みに採用されており、しかもそれらが互いに違和感を生じないよう、非凡な設計・意匠が施されている。

 

 温泉施設としての「片倉館」は上諏訪温泉郷に属している。泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)で源泉温度は約70度。関節痛や神経痛、筋肉痛、五十肩などに効能を持つという。

 

 天然温泉大浴場「千人風呂」の浴槽は大理石造りで、底には玉砂利を敷き詰めてあり、立つと足裏に心地よい刺激を感じる。浴槽は男湯・女湯とも同一デザインで、広さも同じ。内装改修時に設置した小浴場はジャグジー風呂となっている。また、会館棟には204畳の舞台付き大広間をはじめ、40畳の中広間、小和室(2部屋)など大小の広間があり、ほかに3〜10人の家族やグループで利用できる貸切の個室も用意されている。

 

 ステンドグラスや彫刻、装飾が楽しめる「ロマン漂う芸術のお風呂」として、長く地域住民や諏訪湖の観光客に親しまれてきた「片倉館」は、平成23(2011)年、国の重要文化財にも指定されている。

(写真提供:財団法人片倉館)