【季語】 (2020年9月号)


「マスクして我と汝でありしかな」。高浜虚子が弟子の山口青邨の送別会で詠んだ句。前書に「青邨送別を兼ね在京同人会、向島弘福寺」とある。同人会とはもちろん「ホトトギス」の会合のことだ▼山口青邨は岩手県盛岡市出身。第二高等学校から東京帝国大学工科大学採鉱科へ進み、卒業後は古川鉱業に入社するも2年で退社して農商務省技師に転じシベリア炭鉱を調査。役人生活も2年で切り上げると東大工学部で助教授・教授として教鞭をとった▼日独防共協定が結ばれたのは二・二六事件のあった昭和11年のこと。虚子がこの句を詠んだのは翌12年1月。青邨は2月に神戸から欧州へ渡り、ベルリン工科大学に客員研究員として在籍。欧州諸国を視察旅行し、パリで開かれた万国石油会議に日本代表として出席。同14年、米国を経由して横浜に帰着した。日独伊三国同盟は翌15年に締結されている▼我は我の道を行く、汝は汝の道を行け。俳人としてこれまで同じ道を歩んできた弟子が、その有能さゆえに時代の大きな波に翻弄され、国の思惑によって万里の波頭を越えてゆく。まったく別の道へ使者として旅立つ弟子への、決別と惜別の想いを込めた師匠からの一句だといえるだろう▼マスクをして汝は旅に出ろと国がいう。「マスク」は本来、冬の季語だが、今年からは通年季語になりそうだ。