元禄の豪商、紀伊國屋文左衛門にあやかった社名、ではない。創業者の保芦邦人は山形から上京して米屋を営むが日中戦争の米統制で断念。築地で果物販売をはじめた際に支援者から贈られた屋号は「紀伊國屋」だったが、「紀伊國屋さん」と、さん付けで呼ばれることを申し訳なく思い、「紀」に妻の名(文子)の1文字を配して「紀文」とした。蒲鉾など練り製品の製造・販売に進出したのは戦後のこと。