相続税対策は、家族のために多くの財産を残すことを目的として行うものだ。であれば、相続税を減らすことを目的に家族を〝増やす〞のは本来なら本末転倒だろう。だが近年になって、芸能人などの資産家を中心に、養子縁組を活用した相続税対策を利用するケースが増えている。養子縁組は税負担を大幅に軽減できることに加え、残したい人に確実に遺産を渡せるのが強みだが、法定相続人が増えることには争族トラブルのリスクも付きまとう。養子縁組を使った相続税対策の税メリットと、その危うさを知っておきたい。
近年、芸能人による養子縁組の事例が増えつつある。2014年11月にこの世を去った俳優の高倉健さんはプライベートを極力公開しないことでも知られたが、その死後に、33歳年下の知人女性を養子にしていたことが明らかになった。女性は、悪性リンパ腫を発症した健さんの介護を一人で行っていたといわれ、「長年お世話になった人に財産を残してやりたい」という健さんの意向で、なくなる1年半前に縁組をしたという。
健さんは両親がすでにこの世を去り、40年以上前に歌手・女優の江利チエミさんと離婚したきり、配偶者も得ていなかった。3人いたきょうだいのうち妹が1人健在で、本来ならば健さんの莫大な遺産はその妹が1人で受け継ぐはずだったが、養子縁組によって「きょうだいが相続人となるのは、死亡した人に配偶者も子・孫もいない時」という条件が崩され、推定40億円以上ともいわれる遺産は全額が養子の女性のものとなった。健さんは本来であれば相続人とならない他人に財産を残すため、養子縁組を活用したわけだ。
またコメディアンで映画監督の北野武さんも、将来の相続を見据えて養子縁組を行った一人だと言われる。一時期タレント活動も行っていた娘・井子さんの子どもが縁組の相手だ。つまり自分の孫を養子にしたわけだ。
自分の孫を養子として「子」にすると、将来起きるだろう子から孫への相続を一回なくせることになる。相続税が課される回数を減らせることに加え、自分が死亡した時の相続でも、基礎控除額が増えるなど多くの税負担軽減メリットを享受することが可能だ。北野さんの場合は、健さんよりも、より純粋な相続税対策として養子縁組をしたものと言えるだろう。
この2人のケースは多額の財産を持つ芸能人の養子縁組として知られるようになったが、それ以外でも近年資産家による養子縁組が増えている。その理由の多くは、前述のような相続税負担の軽減にあるようだ。
平成28年11月初旬、孫養子をめぐる裁判で、最高裁がこれまでの判例を覆す際に開かれる「大法廷」を開廷すると決定した。この裁判では相続税対策のために結ばれた養子縁組が有効かどうかが争われ、二審では「税理士が勧めた相続対策に従ったに過ぎず、孫との間に真実の親子関係を作る意思はなかった」として、縁組を無効と判断していた。この判断が覆されれば、司法が相続対策の孫養子に一定のお墨付きを与えるということになる。
とはいえ、税金のためだけの養子縁組は税務署に否認される恐れがあるのも確かだ。相続税法の実務を定めた基本通達63条の2では、「相続税の負担を不当に減少させるためと税務署が認めた養子については、法定相続人から除外される」と規定している。何が不当かを具体的に線引きするのは難しく、これまで同項によって否認された事例は一件もないともいわれるが、否認リスクがゼロではないことは確かだ。
それにもかかわらず、多くの資産家が養子縁組に踏み切るのは、縁組による相続税の負担軽減効果が大きいからにほかならない。
子どもが増えるということは、法定相続人が1人増えることを意味する。相続人が1人増えれば相続税の基礎控除額は600万円増える。同様に生命保険金の非課税枠は500万円、死亡退職金の非課税枠も500万円増加する。この全ての非課税枠をフルに活用できれば、縁組だけで課税対象となる相続財産を1600万円圧縮できるわけだ。
さらに、それを増えた後の人数で按分するため、1人当たりの取得分は大きく減ることになる。相続税の税率は相続人ごとの取得分に応じて高くなるため、取得分が下がれば税率もその分だけ下がり、結果的に課せられる税額は当初より大幅に減ることになる。
そして孫を養子にするケースでは、前述したように相続税負担を一代飛ばせるというメリットもある。
養子縁組のもう一つの大きな効果は、健さんのように、渡したい相手に確実に財産を残せることだ。
望む相手に遺産を残す方法としては、遺言が一般的に知られている。だが遺言の内容は法定相続分には優先するものの、相続人に最低限保障されている遺留分を無視することはできないため、財産のすべてを思い通りにすることはできない。だが、健さんのように配偶者や子もいないというケースであれば、養子縁組で遺留分を一切発生させずに、その人だけにすべての財産を渡せることになる。孫養子であれば、代襲相続などの例外を除けばそもそも法定相続人ですらない孫に、確実に遺産を渡せるわけだ。
そして養子縁組を使った相続税対策が他の手法と違うのは、すぐに実行できるというスピードの点だ。他の不動産投資や生命保険といった相続税対策のように、準備に時間をかける必要もなく、比較的簡単な届出で受理日からすぐ効力を発揮するという〝即効性〞が養子縁組を活用した相続税対策の強みとなっている。
だが養子縁組のもたらすメリットばかりに気を取られて、円満だったはずの相続が〝争族〞となってしまうリスクを忘れてはいけない。法定相続人の増加は他の相続人の取り分の減少を意味する。配偶者や親子の間であってももめるのが相続なのに、そこに本来遺産をもらえるはずのなかった人が増えれば、トラブルの確率は倍以上に跳ね上がると言ってもいい。
一言の相談もなく養子縁組がされたという健さんの実の妹と、遺産を受け取った女性の間には、現在もまったく親交が持たれていないという。争族トラブルこそ発生しなかったものの、親族側は葬儀にも一切参加せず、健さんとの絆は切れたままだ。
また養子絡みではないものの、歌手のやしきたかじんさんが死亡する数年前に結婚した妻と親族の間で遺産相続トラブルが発生し、名誉棄損で裁判にまで発展する争いになったことは記憶に新しい。
財産の多寡にかかわらず、相続人が突然増えればトラブルにならないほうが少ないと考えていいだろう。養子を使った相続対策は、前もって十分に話し合い、相続に関わる人すべてが納得していなければ穏便には終わらないことを重々覚えておきたい。たとえ元からもめることを覚悟の上で養子をとったとしても、自分の亡き後に相続争いで心身をすり減らすのは財産を残された側だ。財産を残したいほど相手のことを思っているのであれば「自分が死んだ後は知らない」ではなく、生きている間にできるだけもめ事のタネはなくしておきたい。
養子縁組はこれまで続いてきた家族の形を変えるというのも大事な点だ。書類上とはいえ縁組が行われた以上、新たな親子関係が生まれ、親族にとってはきょうだいや親戚が増えることになる。養子となった本人がまだ年の若い孫であれば、将来の人生のさまざまな部分にも影響するだろう。
また孫養子の場合は、税制面で相続税の「2割加算ルール」の対象となる点にも留意したい。孫養子は法定相続人として扱われるものの、相続税法上の一親等には当たらないため相続税額が20%上乗せされる。遺産の額によっては、孫養子で得られる税負担の軽減効果よりも2割加算ルールで課される税負担が上回るということもあり得るわけだ。養子を取ったからといって必ず税負担が減少するわけではないことに注意し、孫養子に限らず、必ず税負担がどれだけ変わるのかを税理士などの力を借りてシミュレーションするようにしたい。
相続税対策は、あくまで本人も含めた家族のために、多くの財産を残すことが目的だ。その対策の結果として家族が争ったり、財産を残された人が不幸になったりしては意味がない。養子縁組を考える際には、税負担面でのメリット以外の要素までしっかり考えて、慎重に検討したいところだ。
(2016/12/31更新)