かわかみ・げんいち
明治45(1912)年、静岡県浜松市出身。日本楽器製造(現・ヤマハ)の4代目社長であり、ヤマハ発動機の創業者でもある。「ピアノを買ってください」とは言わず、「音楽を教えましょう」というマーケティング・アプローチで、ヤマハをピアノのトップブランドに育て上げた。同時にオートバイやスポーツ用品の製造開発、マリンレジャー・リゾート事業でも大きな成果を上げ、ヤマハ中興の祖と呼ばれる。この言葉は戦後まもない昭和25(1950)年、38歳という若さで社長に就任し、オートバイ事業への進出を決断したときのもの。4年後の昭和29(1954)年、ヤマハのオートバイ第1号となる「YA–1」が誕生。翌年の富士登山レース、浅間高原レースの2大大会にYA–1で挑戦し、勝利する。平成14(2002)年、90歳で死去。