やすかわ・だいごろう

明治19(1886) 年、安川財閥の創始者である安川敬一郎の五男として福岡県遠賀郡芦屋町に生まれる。福岡県立中学修猷館から第一高等学校を経て東京帝国大学工科大学電気工学科に進む。明治45(1912)年に卒業すると日立製作所に入社。1年間勤務した後に渡米し、総合電機メーカー最大手のウェスティングハウス社で見習い技師として5カ月間の実習を積んだ。帰国後、大正4(1915) 年には父・敬一郎の出資により、兄の清三郎とともに合資会社安川電機製作所を創設。昭和11(1936)年、社長に就任。モーター・電動機の開発製造に取り組み、後に産業用ロボットで世界シェア第1位となる安川電機の礎を築いた。昭和21(1946)年、石炭庁長官に就任するがGHQにより公職追放。昭和24(1949) 年には安川電機の会長に復帰。昭和30(1955) 年日銀政策委員、同31(1956) 年日本原子力研究所初代理事長、同32(1957) 年日本原子力発電初代社長、同35(1960)年九州電力会長、同36(1961) 年九州経済連合会初代会長、同38(1963) 年東京オリンピック組織委員会会長などに就任。札幌冬季オリンピック組織委員会最高顧問なども含め、政財界・スポーツ界の要職を歴任した。昭和51(1976)年、90 歳で死去。